現在の閲覧者数:

Entries

日蓮正宗本山 讃岐本門寺 近現代の動向

讃岐本門寺
画像は競売にて購入した三幅対の日興形木本尊及び、薄墨衣白五条袈裟で読経日蓮御影と三巻本撰時抄を指す日興御影である。
両御影には、高永山三十五世日鳳の開眼を示す書判が有り、中央の日興形木本尊には為書と授与書が観られる。
日付はいずれも、「昭和十二年春彼岸」となっている。

明治三十二年に日蓮宗興門派は本門宗と改称し、翌年明治三十三年大石寺一門は日蓮宗富士派を公称し独立。この時点では讃岐法華寺(当時)は本門宗に残留する。
本門宗では北山本門寺の別格末寺と位置づけられていた。
余談だが現日蓮正宗の久遠山實成寺は、当時京都要法寺の別格末寺となっている。

この昭和十二年とある三幅対の軸物は、本門宗・顕本法華宗・日蓮宗の三派合同が昭和十六年なので、この時の日鳳は本門宗で讃岐法華寺の住職であった。
その後、日鳳は讃岐法華寺住職として三派合同により日蓮宗となり、戦後昭和二十一年に末寺顕本寺一ヶ寺を日蓮宗に残して、塔頭及び他の末寺とともに日蓮正宗に改宗、大石寺末となる道を進む。併せて寺号を法華寺から本門寺に改称している。
尚、現在は塔頭二ヶ坊が正信会に所属している。

日鳳は本門宗~日蓮宗~日蓮正宗と所属宗派をサーフィンした。

中央、日興形木本尊は、興風談所「日興上人御本尊集」に原本の写真や座配図は無く、三野町文化史6に掲載の讃岐本門寺聖教目録にも掲載が無い。そのため版木原本となった日興御筆本尊は別寺院のものであると考えられる。
嘉元四年三月日とあるので、興風談所「日興上人御本尊集」目録の形木・模刻之部No.5の京都住本寺他とあるものが該当すると思われる。
同じく興風談所「日興上人御本尊集」目録の形木・模刻之部にて『京都住本寺他』とある、No.11嘉暦元年十二月十三日の形木本尊が、その授与書から京都要法寺所蔵の興風談所「日興上人御本尊集」目録の現存・曽存之部No.229を原本とすることが想定されるので、現存・曽存では唯一「嘉元四年三月日」とある、日蓮正宗茨城富久成寺蔵の日興御筆本尊との関係が推定される。

茨城富久成寺も日尊系寺院であり、日蓮宗興門派から本門宗時代、最大派閥であった京都要法寺の影響もあって、尊門系寺院の日興御筆本尊の形木が流布したのではないだろうか。

いずれにせよ本門宗時代の日鳳は、日興形木本尊や日蓮・日興御影を開眼授与する権能を有していた。
その後、日蓮宗を経て、戦後大石寺末となってこのような権能は無くなり、近現代の激変の中を生きたのであろう。
貴重な史料を手にできたと思う。





当ブログ公開後に彰往考来師より、三和町資料をお送りいただく。当ブログにあげた日興形木本尊は、三和町資料に座配図が掲載される日蓮正宗茨城富久成寺蔵日興御筆本尊と諸尊座配が一致するので、件の形木本尊の原本は日蓮正宗茨城富久成寺蔵の日興御筆本尊の可能性が高い。この場を借りて、ご教示いただいた彰往考来師には心より感謝申し上げたい。
スポンサーサイト

コメント

[C2529]

法縁読者さん、

ご高覧並びにコメントをありがとうございます。

拙い日記ですが、何かのお役に立てたなら幸甚です。

  • 2016-04-28 11:57
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C2528]

管理人様

ご無沙汰しております。この度は貴重なご教示、誠にありがとうございます。皆様のコメントも大変興味深く拝見致しました。
讃岐本門寺にはじっくり時間を掛けて参詣したいと考えております。皆様のご教示に改めて感謝申し上げます。
  • 2016-04-28 08:55
  • 法縁読者
  • URL
  • 編集

[C2527]

四明さん、

ご教示の通りですね。
日達晋山がなければ、正信会に走る塔頭もなかったでしょう。
日顕晋山がなければ、現状は無かったと思います。

一応、今でも地元では大坊さんと呼ばれ、住職は籠に乗り大坊行列を行う伝統は残っているようですが。
妙蓮寺の日華像はどこに行ったのかわかりませんが、讃岐本門寺には日仙の彫像が今も祀られてますね。
たまたま地元の方から日仙像の写真をお送りいただきましたが、読経像で顔立ちが日蓮御影と異なるといった感じですね。

  • 2016-04-27 22:18
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C2526]

保田妙本寺が、本尊書写に踏み切っていないのは、何に遠慮しているのか、定かではありませんが。日昇書写本尊を宗定本尊としている学会は、帰山の可能性を残していると理解しますが。讃岐は、日達晋山、日顕晋山時代で法類が入れ替わっています。
  • 2016-04-27 19:21
  • 四明
  • URL
  • 編集

[C2525]

ありがとうございます。参考になりました。
  • 2016-04-26 12:29
  • 地蔵野
  • URL
  • 編集

[C2524]

地蔵野さん、

大石寺歴代の日忠などは妙蓮寺からあがってきた貫首ですね。大石寺歴代としての直筆本尊なら私蔵しています。
過去に妙蓮寺歴代の本尊が競売に出たこともありますし、創価学会広宣部の資料にも興門派時代の妙蓮寺貫首の本尊写真が掲載されています。
少なくとも妙蓮寺は旧興門派八箇本山の一つですので、戦後日蓮正宗に転向するまでは貫首は本尊書写の権能を有していたと思います。

一方、現在日蓮正宗の本山でも、日向定善寺や讃岐本門寺は、興門派や本門宗時代から本尊書写の権能は無いので、失った権能としては形木本尊や御影の開眼、塔頭・末寺との関係などではないでしょうか。

日蓮正宗以外の旧興門派本山では、安房妙本寺が日蓮正宗から離脱して20年前後経つと思いますが、まだ本尊書写を再開した話は耳にしません。
他山は基本、塔頭・末寺・檀家に授与が原則で、権能自体は有していますが、大石寺貫首のように沢山書写しません。

日蓮正宗と違い、他山は檀家寺が中心で、信徒を掌握しているところはほとんどありません。
よって、講組織のようなものはなく、自分から寺に連絡をして年中行事を確認しないと、何の音信もないのが通例ですね。

檀家寺と信徒寺の違いを見極めると、参詣のしやすさなどがわかってきますよね。檀家寺は比較的閉鎖的なところが多く、年中行事以外は寺院に出入りできないところが多いです。日蓮正宗の信徒さんが改宗を試みたとき時、最初の壁になるのがこの檀家寺システムだと思います。

  • 2016-04-26 10:38
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C2523]

ご返事ありがとうございます。妙本寺では今はお守り御本尊は無いのですね。日蓮正宗の常住御本尊は冥加料が桁違いとの事、日蓮正宗の信仰を真剣にされている方でもおいそれとは授与されないのですね。時折、競売で日蓮正宗の御本尊がことのほか高値が付くのはそうした背景もあるのですかね。高額な供養金を出せる方しか頂け無いのは何とも…。
下条妙蓮寺の歴代の中には大石寺の僧侶も入っているらしいですが、その頃に大石寺から妙蓮寺で御本尊を貫主が授与する事は問題無いと考えられていたのでしょうか?要法寺、西山本門寺等他の本山の貫主が御本尊を授与する権能を持っている事は大石寺を含めても互いに認めていたのでしょうか?昔は互いに通用があったようなので殊更問題視されたように感じられないのですが。妙蓮寺にしても讃岐本門寺にしても日蓮正宗に属するようになってその権能を失ってしまったのは残念です。
長くなりすみません。何卒よろしくお願い致します。
  • 2016-04-25 23:33
  • 地蔵野
  • URL
  • 編集

[C2522]

地蔵野さん、

ご高覧並びにコメントをありがとうございます。

安房妙本寺では今はお守り本尊は出していないのではないでしょうか。
北山は生御影尊の煤祓いをした布を入れたものでお守りを作っています。本尊ではなく、神社等で見かけるお守りと同じ見た目です。こちらは無料です。
西山では紙札や木札が年中行事のさいに売られますが、紙札は御朱印と同じです。お守りは見かけません。
實成痔、久遠寺では通常、何も置いてません。
要法寺はご存知のとおり、称徳本尊が入ったお守りが売られていますね。

日蓮正宗の事はよくわかりませんが、常住本尊(貫首の直筆本尊)は基本は末寺住職、旧檀家が優先で、一般講員の方は末寺経由で申請してしばらく時間がかかるか、授与されないかどちらかだと思います。冥加料も桁違いで、更に表装にお金がかかります。

久遠山實成寺の件は詳しく調べたことが無いのでわかりません。
いつか調べてみたいと思います。申し訳ございません。

以上、ご参考になれば幸甚です。


  • 2016-04-25 19:10
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C2521]

貴重な御本尊、御影を拝見させて頂きありがとうございます。お伺いしたい事があるのですが日蓮正宗や保田妙本寺にはお守り御本尊と言う御本尊があるそうですが、他の本山にもお守り御本尊はあるのでしょうか?
また、日蓮正宗の常住御本尊は例えば新しい信徒に対して授与されるのに基準のようなものがあるのでしょうか?
要法寺末の久遠山實成寺は何故現在は日蓮正宗に属しているのでしょうか?
質問ばかりで恐縮ですが何卒よろしくお願い致します。
  • 2016-04-25 14:47
  • 地蔵野
  • URL
  • 編集

[C2520]

四明さん、

ご高覧並びにコメントをありがとうございます。

讃岐本門寺は法華寺時代に本尊書写権があったのでしょうか。
日仙以外は記憶に無いのですが、「富士門流志考」か何かに出てましたでしょうか。
日鳳から日文に代替わりして、日文遷化が昭和51年ですので、昭和38年前後に日達が兼務住職になったとすれば、完全なジャックですね。

  • 2016-04-24 23:43
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C2519]

戦前の讃岐本門寺は、ある意味自由があったと思われます。北山本門寺のW薄墨には不満があったと思われますが。憧れていたはずの帰一は、本尊書写権の権能が奪われ、日寛の六巻抄、文段の再教育を受け、植民地にされたご心中察します。堀込総監は、戸田氏と関係が深く、日寛教学原理主義者でした。ところが、保田妙本寺帰一法要を機に、富士門の古流に目覚めるわけですが。昭和38年頃でしたが、達師の讃岐晋山で完全に直轄になり、昭和60年以降、当時播州時代の充道師が度々讃岐に御登山しています。
  • 2016-04-24 18:05
  • 四明
  • URL
  • 編集

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

冨士教学研究会 管理者

Author:冨士教学研究会 管理者
「冨士教学研究会 管理者のblog」へようこそ!
宗教(特に富士門流関連)、政治、経済、社会の課題について、自分なりに感想を述べていく場とします。必要に応じ立証形式になる場合もあるかと思いますが、基本は「感想」を述べる場です。ご理解のほどお願い申し上げます。
但し、感想といえども他者や団体等に対するヘイトととらえられる場合、人権・名誉等を著しく侵害し、法令に反すると思われた方は右下の「管理者への連絡」からお知らせください。記事の削除等、必要な処置をとらせていただきます。

最近のトラックバック

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索