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日蓮宗長元寺参詣

長元寺
日蓮命日の会式の時期となり、久々に日蓮宗寺院を参詣する。
日蓮真蹟本尊の安72番こと、弘安三年二月に日眼女に授与された本尊を所蔵する寺院、日蓮宗長元寺である。
残念ながら安72番は非公開、本堂も入ることはできず外からのお参りとなった。
それでも立派な御主題を書いて下さった。

安目録の備考・註記では、安72番は安71番と共に、四条金吾夫妻に授与されたものとされている。
安71番は弘安三年二月一日と日付まで入っており、三枚継である。
それに対し安72番は一紙である。

このあたりは日蓮がどのような配慮のもと、夫妻に本尊授与をおこなったのだろうか。
夫四条金吾には四天王を配した三枚継の大漫荼羅、妻日眼女には四天王を配さない一紙。

いずれにしても本来は同一箇所にあったはずである。
しかし一方は東京、もう一方は大阪堺(妙国寺)に所蔵されている。
妙国寺は本山だが、長元寺とは旧本末関係は無い。

いつかこの二つの本尊が、再びめぐり合うことがあったら、四条金吾夫妻は、日蓮は、どのように思うのだろうか。
御主題を書いていただいている間、こんなことを考えながら、都内ということで蚊に刺されないよう座らず止まらずうろうろしていた。




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コメント

[C2261]

四明さん、

ご高覧並びにコメントをありがとうございます。

道元を宗祖とする曹洞宗では、本尊は釈迦如来、通常の読誦経典は法華経と般若心経ですね。
全くの私見ですが、正法眼蔵では止観の影響もあり、全否定の段階にないのではないでしょうか。

親鸞に関しては、蓮如によって世に広く知られるようになったと思われ、日蓮当時はそれほど知られた、あるいは影響力をもった教団ではなかったのではないでしょうか。

同世代、近世代に活躍した他宗の祖師達で、日蓮が特に取り上げていないのは、理由があるか知られていないかのどちらかだと思えます。

初期禅宗教団との接点は、祖師と呼ばれる面々ではなく、最明寺殿をはじめとする権力をもった禅宗入道らが大きく関連していると思います。

  • 2014-10-14 23:17
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[C2260]

行者忍辱さん、

ご高覧並びにコメントをありがとうございます。

実は私も当初、立正安国会の御会式に参詣する予定でした。
随喜居士の御書を私蔵しており、是非片岡先生のもとにお届けしたいと思っておりました。
しかし大きな行事の時に、忙しては申し訳ないと思い、今回は参詣を見送り後日随喜居士の御書をお持ちしたいと思いました。

ブログの方拝見いたしております。
当方ブログを「某ブログ」として、コメントされている方がいますので、ロム専にて失礼いたしております。
またyahooのIDがないとコメントできないようですね。
陰ながら応援させていただいております。

  • 2014-10-14 23:05
  • 管理者
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[C2259]

宗祖の教団は女性信徒が多く書状で即身成仏義を東密台密と対比させて論をすすめています。宗祖は理の学
僧の側面と同時に激しい情念的な行者もあわせ持っています。禅天魔、妖怪と指弾した大日房能忍は、法華経を月を指す指の教外別伝を唱導し、男女問わず在家に禅宗を広くひろめたわけですが、財産のある尼僧の浄財で『見性成仏論』の出版もしているわけです。日蓮教団と初期禅宗教団とどのように接点があり、衝突したかまだ解明される必要があろうかと。法華経を取り入れている道元にはなぜか触れていないことも不可思議です。
  • 2014-10-14 07:04
  • 四明
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[C2258]

私は、昨日、立正安國會の日蓮大聖人733遠忌法要および、片岡随喜先生ゆかりの、宗祖御真跡御風入れに、昨年、一昨年に引き続き、本年も、参拝いたしました。私は、片岡邦雄先生の、熱烈なる日蓮大聖人様への敬慕の、御信念に、一目惚れを致しまして、地涌塾にも、よく参加致します。しかしながら、この秋の激烈な天変地異、天の怒りか地の声かと云う喩えが、ありますが、馬鹿正直なる日蓮党として煮詰めてまいります。Yahoo!ブログ「日蓮が弟子 愛国沙門は今日も征く」ご検索、ご高覧、また、ご意見を、いただけますならば、ありがたいことです。どうも、失礼いたしました。
  • 2014-10-13 22:22
  • 行者忍辱
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[C2257]

Uenobonjinさん、

はじめまして。
ご高覧並びにご教示ありがとうございます。

私も日眼女授与は守りではないかと思うのですが、写真で見る限り折りたたんだ形跡が観られず、一紙といえども携帯するには大きすぎます。

携帯する守りは現代の感覚ですが、かつては干支守り本尊などを彫刻し、自邸に安置することが習わしだったと思います。
そのことから想起されるのは、Uenobonjinさんのご考察の通り、守本尊の前に三寸の釈迦像を安置した可能性はあると思います。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

  • 2014-10-13 08:55
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[C2256] いつも拝見させてもらっています。

こんばんは。いつもブログを拝見し、勉強させていただいております。弘安2年2月2日にかけられる、日眼女釈迦仏供養事に「御守り書きてまいらせ候。三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女。」とあります。この御文と日眼女授与の御本尊と無関係とは思えません。個人的には御本尊を根拠に日眼女釈迦仏供養事の系年を弘安3年にしても良いと思っております。このころは曼荼羅の前に釈尊を安置していたのでしょうか?
四大天王がなく、1紙なのは四条家の安置用には、夫の頼基に対して三枚継の本尊を授与されたので、妻の日眼女に対しての本尊は「御守り」だったからだと、このように考えますがいかがでしょう?
乱文失礼しました。
  • 2014-10-12 22:45
  • Uenobonjin
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