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護国山尊重院天王寺

天王寺
写真は現天台宗で毘沙門天で知られる、護国山尊重院天王寺境内の題目(妙法)板碑である。
この寺院こそ、先週紹介の善国寺旧本寺である、谷中感応寺であったところである。

かつては境内に壮大な五重塔があったが、火災によって全焼してしまった。

草創時代は、日蓮直弟子の日源によって開山された長耀山感応寺である。
その後、日蓮宗不受不施派として、末寺善国寺とともに、幕府より弾圧を受けることになる。
現目黒の円融寺と歴史が似ており、開山が日源で江戸時代に弾圧を受け天台宗に改宗している。

その後は、江戸の三富(富クジ興行)の一つとして、当時の宝くじ売り場として栄えた。
その点は湯島天神らと同じである。

谷中七福神の一つでもある毘沙門天王は、感応寺から天王寺へといった寺名改称とも縁があると思われるが、改宗の際に比叡山から遷座したものと伝承される。

また放火によって焼失した五重塔は、幸田露伴の『五重塔』のモデルであったことでも有名である。

江戸名所図会には感応寺として、その広大な寺域・境内が載る。

今、日蓮宗時代の面影は、巻頭の板碑と境内にある元禄大仏と云われる釈尊像ぐらいで、本堂の本尊は中品上生印の阿弥陀如来となっている。
毘沙門堂は毎月三日に開堂し護摩供が修されるとのことである。

現在は天台宗特別寺格を有している。

これも歴史の一つ。日蓮宗善国寺から徒歩圏内なので、周辺に出向いた際にはお立ち寄りを勧めたい。




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コメント

[C2215]

改宗の理由のひとつに、江戸時代の台家で知礼の教説が『台宗二百題』に見るように、急速に受容されていたことがあります。同時代の不受不施派も知礼によって、従義の教説に拠った受布施派に教学的に対抗したことが挙げられます。知礼という「共通言語」があったからこそ、毘沙門天遷座も袈裟の色変更も抵抗がなかったのでしょう。
  • 2014-06-30 21:58
  • 四明
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[C2213]

行者忍辱さん、

ご高覧並びにコメントをありがとうございます。
やはり日蓮宗寺院のことは、行者忍辱さんが専門ですね。
本行寺も感応寺関連でしたか。
勉強になりました。

  • 2014-06-21 21:32
  • 管理者
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  • 編集

[C2212]

幻の巨刹、感應寺、往時偲ばせるものが、日蓮宗北部宗務管区の寺院に点在しております。日暮里駅に近い、通称「月見寺」本堂の諸尊も、その一つです。
  • 2014-06-21 21:21
  • 行者忍辱
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Author:冨士教学研究会 管理者
ブログ「冨士教学研究会 管理者のオワコン日記」へようこそ!
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それと同時に、冨士教学研究会の役割もほぼ終わりかけていると思います。
今後は、政治・宗教・社会等の問題を気ままに記してまいります。
更新頻度は特に定めません。皆さんも時間のあるときにのぞいてみてください。

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