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密法華

金沢文庫にて開催中の特別展「中世密教と〈玉体安穏〉の祈り」を展観する。

重要文化財の後醍醐天皇像は密教法具を手にしながら、日蓮本尊にも勧請される天照皇大神と八幡大菩薩が春日大明神とともに文字で書かれている。

密教の行法の書かれた古文書、法会図、摩尼宝珠曼荼羅を含む曼荼羅類及び仏画本尊などが展示される。

関心をもったのは「密法華」と云われる古文書である。
解説を読むと、『周の穆王が霊山浄土で聞いた法華経の「首題之梵号」を子孫に伝えていたが、秦始皇帝の時に王の枕を超えるタブーを犯した仕童を○玄山に流した際、始皇帝がこの「法華首題」の句を童に伝えるために、仕童はその法力で七百年の命を保ったという説話が書かれている。」という。

即位灌頂では普門品の句が重視されたとも。このあたりは中国天台の法華文句の影響も見え隠れする。

日蓮の下地は中世密教であることは間違いないだろう。
私の仮説は清澄寺は東密の寺で、師の道善阿闍梨は東密の念仏僧である「聖」。そのもとで東密僧として授戒得度し、日本第一の知者となることを願って虚空蔵求聞持法を修し遊学に出る。

そして比叡山にて台密法門・法華六大部により論理性を見出し、台密僧へと改宗したのではないかと思う。
既に3月28日は過ぎ、繰り返しの雑記になるが、3月・4月と議論ある「立宗」の日は、聖の行を含めた念仏を批判し、東密僧から台密僧への『改宗』を宣言した日だったのではないか。

今回の展示を見学し、再びこの考えが呼び起こされた気持ちであった。

開期:~4月20日(日)まで
時間:9:00~16:30(入館は16:0まで)
毎週月曜日休館 一般400円



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コメント

[C2144]

四明さん、

ご高覧並びにコメントをありがとうございます。

私は今の日蓮研究者は、日蓮を『本佛』、『大菩薩』等と内心であっても思っている以上は、今まで以上の日蓮と密教の関係性について進展は期待できないと思っています。

日蓮は学問半ば、修行半ばにして自ら拘るものを見つけ、足の置き所をサーフィンしながら結局は台密の異端として存在した事を念頭に置き、日蓮の実像と向き合い、その上で尚且つ日蓮のそれに関心をもち研鑽を深めていくことが必要なのではないかと思います。

阿呆陀羅経さんのご教示の通り、東台両密の阿闍梨であったとすれば、二つの大学で学位を持っていた程度の学識はあり、多少注目されてもおかしくはないだろうと思います。

また後年、弟子たちに阿闍梨号を授与したのか、弟子たちが勝手に名乗るようになったのか、あるいは弟子たちが台密阿闍梨としての修法を行じたのか、まったくもって不明ですが、上代門下には密教系の看板がついてまわる例がみられます。日興もその一人だと思います。

  • 2014-04-05 11:21
  • 管理者
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[C2143]

宗祖の唱題成仏義は、鎌倉で対峙していた然阿良忠を強烈に意識した故に台密を封印(佐前期)してまでも辻説法で唱導されたのですが、同時に親鸞と共時性を有しますが、恵信僧都源信の『一乗要決』に見る仏性論をも受容していることがあります。また涅槃経受容をも見過ごせないわけです。川澄勲氏は、霊山往詣思想は、浄寂の浄土・己心の浄土に求められるといわれる。此処に文底秘沈の一念三千を見出して日蓮は『開目抄』を執筆したのか。充道さんの師匠は、台密の碩学三崎良周氏ですが、台密と日蓮思想との相関関係は論議が喫緊の要でしょう。
  • 2014-04-04 19:43
  • 四明
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[C2142]

阿呆陀羅經さん、

興風談所も日蓮一期の弘通をいくつかに分類し、霊山浄土への往生へと返還する事を述べていました。

またいい加減なことを書くと怒られてしまいますが、たしか当時の幕府の動向によって日蓮の弘教の方法が変わっていったといった大意だったと記憶します。

日蓮が国師となることを望んでいたことは間違いなく、そのためその象徴として建造物としての「本門戒壇」の建立を望んでいたかどうかはあわせて関心が持たれるところです。

  • 2014-04-03 11:02
  • 管理者
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[C2141]

日蓮の主張は、「天変地異や世上の戦乱などの災厄は、全て他宗(=邪宗)の所為である」という、頗る恣意的且つ単純にして便宜主義的なもので、これが今日まで日蓮党が世間に及ぼしている禍根の元凶となっておりましょう。

蒙古襲来による”国師”の機縁を失い、身延に隠退した晩年の日蓮には「心境の変化」でもあったのか、壮年期の密教阿闍梨的な気迫は影を潜め、執拗に批判を続けた浄土教を逆に咀嚼吸収の上、これを本覚思想で解釈したような“霊山浄土教”に到ったのではないかという印象を抱きます。
  • 2014-04-01 14:32
  • 阿呆陀羅經
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[C2140]

阿呆陀羅經さん、

日蓮の後半生では、東密阿闍梨としての自覚がどうも薄らいでいるように思えます。

但し日蓮一期の弘通は「折伏」という本来武力行使による弘教を、齟齬による相手の非難に置き換えたのは、紛れもなく大日経の影響だと思います。
数年前、富士門流信徒の掲示板で、この点を議論したのをにわかに覚えています。

  • 2014-03-31 21:39
  • 管理者
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[C2139]

彰往考来さん、

ご高覧並びにコメントをありがとうございます。

私の管見では、台密に虚空蔵求聞持法をみません。
同修法には、不動・愛染は不要で、必要なのは自作の虚空蔵菩薩像となります。

不動法や愛染法といった、多数ある密教修法を縦分けて考える必要があると思います。
不動法や愛染法は台密でも取り入れられており、改宗後にその感見記を顕すことは、時系列的には不思議ではないとも思えます。

不動法に関しては写本がありますので、お会いした時にご覧いただきたいと思います。

  • 2014-03-31 21:31
  • 管理者
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[C2138]

日蓮の密教観を推究するに当たってのキーパーソンとなるのは、東密諸流に加えて円珍流の台密の奥義も相承し、弥陀念佛をもこれに統合した、新義真言の祖たる覚鑁でありましょう。

その主著『五輪九字明秘密釈』の書写を許された日蓮は、したがって東台両密の法脈を伝える阿闍梨であり、この立場を終生変えなかったと考えます。

尚、日蓮による法然系専修念佛批判の理由も、覚鑁流の念佛観を前提に考察すれば、興味深い視点が浮上することと思います。
  • 2014-03-31 17:04
  • 阿呆陀羅經
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[C2137]

建長5年4(3)月28日は、“開宗”ではなく“改宗”の日であるというのが管理人様のご見解ですね。
日蓮聖人は日本第一の知者となることを願って“東密”で虚空蔵求聞持法を修し遊学に出られたわけですが、“改宗”の後、建長六年に不動・愛染感見記を残しておられることから、今度は“台密”で虚空蔵求聞持法を修されたと考えます。このあたりの虚空蔵求聞持法の修行に関わる変遷について管理人様はどのようなご見解をお持ちでしょうか?

彰往考来
  • 2014-03-31 07:58
  • 彰往考来
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[C2136]

阿呆陀羅經さん、

度々のコメント恐縮です。

吉田神道と日蓮本仏論の関係性は、阿呆陀羅經さんの発見だと思います。

mixiでもかまいませんので、是非掘り下げてご教示いただければと存じます。

  • 2014-03-30 21:50
  • 管理者
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[C2135]

行者忍辱さん、

ご高覧並びにコメントをありがとうございます。

伊勢参りですか、今の私には叶わないことですので、是非とも後日、有縁のお上人との談話も含め、ご教示いただければと存じます。

次女も公立高校に合格出来ましたが、今度は長女が高等教育(大学・専門学校等)の受験になります。
今度は国公立は難しいので、間違いなく私立になると思い、これまでと違い資料関係の収集も厳しくなると思います。

私はこれまで購入し斜め読みで終わっている資料をよく目を通すこととします。
それでも安価で貴重なものは是非ともお勧めいただきたいと存じますので、今後ともよろしくお願いいたします。

  • 2014-03-30 21:47
  • 管理者
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[C2134]

なぜ清澄寺は、近代に至る間、真言宗智山派であったのか?管理者様の仮説が、気になる感じです。上原專六氏のつかわれた「蓮密」と言う熟語、一般的に言う、鬼子母神、木劍、撰法華経相伝などの所謂、荒行用語を一旦、整理して、中世密教と日蓮聖人の選択されたであろう日蓮密教「蓮密」の相関関係に踏み込み、再度、上代門下の立場から、近世よりの日蓮宗荒行を考察するとどうなるでしょうか。私には、とても、荷が思いですが、少し、考えてみようと思いました。来月後半、伊勢神宮、常明寺、誓願の井戸を参拝に行きます。行ける時に行かねばならないでしょう。戦前、活躍した高鍋日統上人の養子の子孫の方が、四日市で日蓮宗教会の住職をしており、伊勢と密教と日蓮聖人の接点について詳しい方がいます。若い時に同じ釜の仏飯を喰んだ仲で、その、お上人と一緒に伊勢の二社一寺を参拝し、旧交を温めます。帰りに名古屋市内の有縁の諸寺も参拝し、名古屋の知人とも会います。春秋社から「シリーズ日蓮」が、タブーに迫る内容で刊行される予定ですが、果たして如何でしょうか。
  • 2014-03-30 21:34
  • 行者忍辱
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[C2133]

日蓮の生育環境を視野に入れますと、即位灌頂を持ち出すまでもなく、伊勢神宮系の“両部神道”の影響を見出せると思います。
つまり、不動明王を胎蔵(界)に、愛染明王を金剛界にそれぞれ対応させますと、密教曼陀羅の金胎両部が反映される仕組みです。

その後室町期に入りますと、明応六(1497)年には吉田神道の実質的開祖である吉田兼倶が、日蓮門下諸派に対して“番神問答”を仕掛け、所謂“三十番神”が兼倶の先祖である卜部兼益から日蓮に伝授されたとの主張を認めさせるに至ります。
私見ではこの事件が日蓮門下、殊に従来より富士信仰等との関係を強めていた日興門流の神道化を促し、延いては吉田神道の“神本佛迹”説の焼直しともみられる、“日蓮本佛”説の形成にも影響を与えたのではないかと考えております。
  • 2014-03-30 20:53
  • 阿呆陀羅經
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[C2132]

阿呆陀羅經さん、

ご高覧並びにご教示をありがとうございます。

室町期には日蓮党は春日大明神信仰をはじめとする、三十番神信仰が移入しており、そののちの時代からは国学者らに吉田神道の影響を云々されるに至るわけですが、日蓮本尊に勧請される天照・八幡は直接神道の影響を受けたというよりも、天皇即位に絡んだ密教儀礼の影響の方が強いのかとも思いました。

密教の尊である、不動・愛染という「明王」の勧請も説明がつきます。

東密と台密とを巡り、日蓮が何を思い、独自の台密観に至ったかは未だに関心のあるところです。

  • 2014-03-30 17:44
  • 管理者
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[C2131]

院政~鎌倉期頃から、天皇の即位礼の際に“即位灌頂”なる秘儀が、玉座である高御座で行われていたとされており、その折の呪句として、胎蔵大日如来や荼呮尼天の真言、もしくは『妙法蓮華經』の「観音菩薩普門品」の「具一切功徳慈眼視衆生。福寿海無量是故応頂礼」の要文が唱えられていたことが判明しているようです。

また、室町期には周の穆王伝説に因んだ『菊慈童』もしくは『枕慈童』なる能も作られ、現在でも上演されております。
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/utahi/text/yo184.txt



  • 2014-03-30 15:45
  • 阿呆陀羅經
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今後は、政治・宗教・社会等の問題を気ままに記してまいります。
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