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「妙宗」を読む

知人より「妙宗」を頂戴する。

頂戴したものではあるが、一読して違和感を覚える内容が散見された。
第一には日蓮を「大菩薩」と本誌は記す。今の時代、日蓮は日蓮であって、御本佛でもなければ大菩薩でも無い。
そして日蓮と天皇をどうしても結び付けたいようでもある。

本誌には富士門流の相伝を重んじる僧侶の寄稿もあるが、富士門流の相伝では梅菊は畠山の血筋とする。
この異見を放置しておいて良いのだろうか。
また鎌倉や叡山への遊学には莫大な費用がかかり、よほどリッチなパトロンがつかない限り難しいとする。
当時から今の宗教のように、何かを学ぶのに莫大なカネが必要だったのであろうか。
現在は、出家得度にもカネがかかり、何かを学ぶにもカネがかかる。
そのくせ労基法に反した賃金しか支給されない。
全くおかしい世の中であるが、鎌倉時代当時も同じであったのだろうか。
このあたりは理解に苦しむ。

もっとも疑問をもったのは、巻末の「本部動報」である。
日蓮を専用する教団本部の見解として、靖国神社参拝を「戦没者の慰霊をしてイケナイのか。」と記されいるが、全国に護国神社は多数あり、加えて戦没者の慰霊碑は寺院にも数多とある。
別に靖国参拝だけを特別視する必要はないだろうと思う。
さらに追い打ちをかけるように「安倍首相よ毎日靖国神社に参拝されれば彼国は諦めます。」と綴られている。
冗談ではない、国民の税金で議員をやっている人間が、毎日靖国に行く時間があればもっと公務に専念し、国家・国民の生活が良くなるよう働いてもらいたい。
非課税の宗教法人だからといって、あまり無責任なことは書かないほうがよろしいと思う。

消費税の値上げは、これまでの失政のつけを国民も選挙民として責任を感じればこそ、致し方ないという意見が多いようだが、真意として増税に賛成している人はいないのではないか。
上がっているのは税金だけではない、保健も年金も上がっているではないか。
名前を変えて勤め人が徴収されるものは多い。少々定期昇給がベースアップしたとしても、手元に残る金銭は微増でしかないだろう。ましてやベースアップの無い企業等は、生活が苦しくなるだけである。

税金・年金・保健と小賢しく徴収を続けるよりも、あちこちにビルディングを建てている宗教法人に莫大な課税を行うことを現政権には臨みたい。
それができてこそ、公明党は公党としての役目を果たせるというものだろう。





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コメント

[C2110]

四明さん、

ご高覧並びにコメントをありがとうございます。

また承認・公開が遅くなり大変失礼いたしました。
申し訳ございません。

四明さんのお考えが、還告史記の思想が日精に還元できるものと拝察いたしました。
また折を見てご教示を賜れればと存じます。



  • 2014-03-04 21:58
  • 管理者
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[C2106]

宗祖当時にはすでに日宋貿易、国内海上交易があったことは事実です。遊学資金の財源は海によるものです。粛道さんは充道さんと同じ達師門ですが、一味違うワンクッション置いた論考が出色です。日有上人の寓話も面白いです。精師は石山圏内では造仏論者と貶められ、抹殺されていますが、石山教学と要山教学を融会させようとし、江戸の額に汗して働く勤労生活者にわかりやすく、親しみやすい法門をすすめようとしたのでしょう。呼吸法もそうでしょう。スピリテュアルの時代瞑想と呼吸法先見の明あります。
  • 2014-03-01 21:09
  • 四明
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[C2105]

阿呆陀羅經さん、

興味深いご考察をありがとうございます。

聖、修験の人脈から、莫大な資金というよりは、人脈修学が中心ではないかとさえ思います。

しかし東条は出資者の一人で、修学から帰った日蓮が自身の意に反する結論を持ち帰ったことに対し、刀を抜いたことは考えられます。

  • 2014-03-01 11:37
  • 管理者
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[C2104]

日蓮の場合は、前述のような生家の財力に加え、当時の“聖”のネットワークの存在も無視出来ないと思います。

“高野聖”はその嚆矢の一つですが、その他にも各地の有力社寺は、その維持管理を支える“勧進聖”の広範なネットワークを抱えておりました。特に日蓮が生育した環境の場合、伊勢神宮の“御師”や清澄山の聖、すなわち修験者らの人脈との関係は、かなり密接であったと思われますので、こうしたネットワークの中で、将来有望な僧侶候補者を後援して畿内社寺へ遊学させ、その出世の後は聖集団の“広告塔”として活用しようという目論見が存したとしても怪しむに足りません。

日蓮の長期に亘る畿内遊学の背景には、上記のような“聖ネットワーク”の支援もあったのではないかと考える所以です。
  • 2014-02-27 22:51
  • 阿呆陀羅經
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[C2103]

彰往考来さん、

お説ごもっともですね。
私もこれからその時代を迎える身として恐ろしい限りです。

酒や女には、昔から金がかかったのでしょうが、坊さんの学問に自坊の援助が必要なのは、よほど人徳がなかったのか、自ら汗を流すことを知らなかったかのどちらかでしょうか。

所謂東坊地係争では、訴訟文書や売地券なども残っていますので、そこまでカネが必要であれば何らかの証拠が一つ二つ残っていても良いと思います。何にそんなにカネが必要だったのか不思議でなりません。

なお現代の話に戻りますが、ご承知の通り池上本門寺の僧侶が立正大学に通う場合、授業料などは全て池上本門寺負担で、僧侶・寺族・自坊の負担はないですね。まあ朝早くから深夜まで大変でしょうが、食事・風呂付きで学費も免除は特権以外の何物でもないでしょう。

そんな特権を受けた人間に、勤労生活者の思いはわからないでしょう。
なので、今までお願いしていた塔婆や御札をたのまなくなると、顔色がかわったり、態度がかわるのだと思います。
私もこれから子供たちが社会人になるまで、本当に苦しい生活になり、これまで行っていた寺院・僧侶へのお中元・お歳暮、お布施の類は一切行わないと思います。
これで色々とわかることも多いと思います。

  • 2014-02-25 19:00
  • 管理者
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[C2102]

先に紹介した高橋粛道氏の文章は、「過日、山口範道師の指導を受けて『西山本門寺末福正寺文書』を上梓したが、その中に、師僧の苦労を示す文書が少なからずあった。師匠の急逝などで資金が届かず止むなく退檀したり、病気等で離檀する者も多かったに違いない」と続きます。件の西山本門寺末福正寺文書』は眼福を得ていませんし、鎌倉期や江戸期の実状はよくわかりませんが、それよりも私は現状の日本の教育のあり方に不満があります。極論を言えばお金がある親の子だけが高等教育を受けられるという状況に近く公平ではないということです。
現在は一般の私立大学で文科系なら、年間100万円、理科系なら150万円程度の授業料がかかります。国立大でも相当かかるでしょう。これは授業料だけでそれ以外にも交通費など色々かかります。私を含め子を持つ親は大変です。(私はここのところ4年以上、常に二人の私立大生を抱えていました。今年の四月からやっと一人になります。) もちろん奨学金とアルバイトで自立に近い学生さんもいますが、それはご本人の努力で頭が下がります。実際、私の同級生で進学をあきらめた人もいましたし、親の死去で中途退学に至った人もいました。実家の商売がうまくいかず進路変更した人もいました。少子化の時代、子供は未来の宝なのですから、教育費の負担が出生をためらう理由になってはいけないと思います。教育費は親の負担ではなく社会全体がみるような世の中になって欲しいです。
  • 2014-02-25 17:14
  • 彰往考来
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[C2101]

彰往考来さん、

ご高覧並びにコメントをありがとうございます。

私は中世・近世の僧侶が学ぶのに、大きなお金を必要としたという考えには否定的な感想を持っています。

具体的になんの為にどのくらいのお金が使われたか等、領収書がわりの文書は昔からあったはずですが、高橋氏などもそうした物的証拠ではなく推論で述べられていることが多いですね。

また出資者は誰なのかも明確になりません。
逆に高野山や比叡山で学んだ僧侶は本当に金持ちの一部の人間だけだったのでしょうか。
時代とともに忘れ去られた、私度僧の一乗沙弥は相当な金銭的援助を得て、比叡山にいたのでしょうか。

もしそうだとすれば、最初から日本にはサンガはなく、仏教は根付かなかった。日本にあるのは最初から外道化された仏教ということになります。


  • 2014-02-24 18:59
  • 管理者
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[C2100]

鎌倉時代の遊学にどの程度の費用が必要であったか直接の資料は持ち合わせていませんが当時も現在と同じで相当費用がかかったであろうことは想像できます。当時の仏教界が現在と同じように聖僧の集まりではなかったということは「実相寺大衆愁状」や「弟子分帳」を拝読すれば解ります。「実相寺大衆愁状」には飲酒をしたり、魚を取って食ったり女性と宴をしたりとやりたい放題であった乱れた状況が出てきますし、「弟子分帳」には妻帯僧が出てきます。日蓮聖人の時代における僧侶の妻帯について戸頃重基は『沙石集』を引用して、「末代には、妻もたぬ上人、年を逐うて希にこそ聞えし。後白河の法皇は、隠すは上人、せぬは仏と仰せられけるとかや。今の世には、隠す上人猶すくなく、せぬ仏いよいよ希なりけり。(『沙石集』) 鎌倉後期の臨済僧無任一円(1226―1312)が、ここに後白河法皇(1127―1192)の言葉として伝えている「隠すは上人」とは、妻帯していることを上手に隠すことのできるのが僧侶だという意味であり、「せぬは仏」とは妻帯しないのが仏である、という意味である。『沙石集』をまつまでもなく、わが国においては、僧侶の妻帯は平安時代の初期から行われていた。三善清行が延喜2(914)年4月に上奏した『意見封事』によれば、僧侶はみな無徳破戒の徒で、妻子を蓄えて家庭をつくり、田を耕して商売している、と堕落を指摘していた。(中略)親鸞が妻帯に踏み切ったのは、当時、僧侶の間でなされていた公然の秘密を、行動的に秘密でなくしたまでのことである。」(戸頃重基『鎌倉仏教』中央公論社、117頁)と解説しています。今も昔も変わらないということでしょう。
時代は違いますが、江戸時代の壇林での研鑚も費用がかかりました。高橋粛道氏は壇林に入壇する人について、「新来といわれる人は、だいたい十五歳前後で、それまでは師匠や法兄について御書や台学の初歩を学んでいた。十五歳以下は幼少ということで諸役を免じられていたが、十六歳以上になると与えられた。壇林での修行は一年の三分の二、さらに二、三十年の長期に及ぶので、師僧はそれを支えるのに経済面で大変な苦労があった。」(『日蓮正宗史の研究』509頁)と指摘しています。
司馬遼太郎の『空海の風景』などを読みますと、入宋するのに相当費用がかかることを伝えています。もちろん入宋と国内遊学では差があるでしょうが、費用がかさむことは間違いありません。当時刊行されていた法華経などの仏典収集も費用がかかったはずです。

彰往考来
  • 2014-02-24 07:34
  • 彰往考来
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[C2099]

阿呆陀羅經さん、

ご高覧並びにコメントをありがとうございます。

過去の日記では、日蓮の神宮奏上の有無を考えたことがあります。

史実かどうか決定的な物証には当たれませんが、神道との接近を最も禁じる日蓮正宗系寺院から発行された日蓮伝には、神宮奏上の場面が出てきます。

しかしその日蓮伝の底本が熊田本(日蓮宗から日蓮正宗へ改宗か?)であったので、明治から大正に考えられていた伝記だと思われます。

さて、ご指摘の通り、餓死による戦没者の施餓鬼会は聞きません。施餓鬼会と盆経を勘違いしている日本人が多い中、ご指摘の点は極めて日本仏教界にとって重大な指摘だと思います。

金にならないことはやらない宗教は、課税対象とすべき。この考えは変わりません。
収益目的ではなく、石碑に込められた思いが本当ならば、戦没者施餓鬼会を行うべきです。

なお蛇足ですが、創価学会では毎年終戦の日前後に、戦没者慰霊の勤行会を行っておりますが、施餓鬼会の意義にちなんで行われていました。
私も創価班として着任し、何度も副導師として読経・唱題にマイクを持ったことを覚えています。

日本仏教各宗は、創価学会批判もいいですが、まずは自分の足元をみなさいということでしょう。

  • 2014-02-23 20:07
  • 管理者
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[C2098]

ある種の日蓮門下で信じ込まれている天皇との“関係妄想”は、“宮門跡”を遂に獲得出来なかった“コンプレックス”に起因すると思われます。

当該機関誌に見られる“貴種流離譚”的な空想もその種の劣等感の裏返しと心得ております。

日蓮が「旃陀羅が子」と称したのも、伊勢外宮の神領であった東條御厨で、神饌となる海産物や魚介類の調進を司る役割を担う荘官層の出自である事実を、自遜して披瀝したと解釈すれば、容易に説明が付きましょう。

畿内への長期遊学費用であれ、太平洋側の海上交易で財を成したこの階層の資力を以てすれば、容易に捻出出来たことでしょう。

さて、先の大戦での戦没者の、実に六割以上が餓死であったとされておりますが、日本佛教各宗派が、これら戦没者に対する“施餓鬼供養”を、別して行っているという話は、寡聞にして耳にしません。

靖国云々以前に、史実に基づいた追悼儀礼が営まれて如かるべきと考えて止みません。
  • 2014-02-23 16:36
  • 阿呆陀羅經
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Author:冨士教学研究会 管理者
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日蓮正宗・創価学会等の富士門流関連寺院・諸団体に関する議論は、池田大作氏の影響力低下と、諸賢の研究・考察・発表等によって、概ね結論はみえてきました。
それと同時に、冨士教学研究会の役割もほぼ終わりかけていると思います。
今後は、政治・宗教・社会等の問題を気ままに記してまいります。
更新頻度は特に定めません。皆さんも時間のあるときにのぞいてみてください。

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