現在の閲覧者数:

Entries

阿吽

111.jpg
画像は北山本門寺の仁王門である。

今さら記すまでも無いことであるが、仁王は口を開けた方が「阿」形で、閉口が「吽」形である。
左右対になって阿吽をあらわす。

第一回脱会者座談会にて犀角独歩師も講義されたが、日本語の五十音は梵字・悉曇が基礎となっている。

真言密教での瞑想法は阿字観と呼ばれる坐禅であるが、この「阿」とは五十音でいう「あ」でありすべての始まりを意味する。

「吽」とは読みは「うん」であるが、五十音であらわすと「ん」である。
終わりを意味する。

大石寺の三門も現在は空になっているが、明らかに仁王があったスペースが左右にある。
仁王が阿吽をあらわす以上、そこに日本仏教の密教影響が皆無とはいえないと考える。

始まりと終わりをあらわす「阿吽」は、日本仏教的には「生死」をあらわすといっても良いだろう。
その阿吽の仁王の間をを通って寺院に参詣することは、「生」と「死」の間、つまり今現在いきていると云う事なのだろう。

神社においては狛犬が阿吽の形相で配置される。
これも同様と思われる。

日本語では「阿吽の呼吸」などの活用がなされるが、本来の意味合い的には最初と最後をあらわすと思う。

密教でお馴染みの呪文に光明真言があるが、聖音のオーム(唵)を除くと「阿」で始まり「吽」で終わっている。

この阿吽の呪文・光明真言の漫荼羅石碑が、若き日蓮の修行場であった清澄寺に今もある。
いつごろのものかは判断しかねるが、大変興味深く思っている。

日蓮と密教をどうしても隔離したいという、創価学会を含む富士門圏や、一部の日蓮宗などがあるが、私にはどこをどうゆずっても日蓮と密教は切り離せない。

過日のブログでも記したが、私は日蓮は東密にて受戒・得度し、修学の結果台密に転じたと思っている。
「開宗の日」は「改宗の日」だったのである。
かりに日蓮が実質「開宗」し開祖となったとしたら、その時期は佐渡以降もしくは身延期であろうと思う。

日蓮門下は日蓮と密教、そして日蓮の開宗について再考すべきだと思う。

スポンサーサイト

コメント

[C1880]

ご説示有難うございます。以前読んだことがある田村芳郎氏の論文から孫引きで原典に当たらない投稿でした。拙稿は小林秀雄氏流の印象批評でして訂正させて頂きます。『和漢王代記』に円珍の『受決集』の引用あり、宗祖は円珍の台密を批判しながらも、一方で強い関心を持ち摂取していたことが窺われます。『清澄寺大衆中』は山中氏が指摘するように、真言宗による切り崩しがあったことがありますが、東密典籍の借用を弟子に依頼していることからわかるように、問答で勝てる自信があったのでしょう。宗祖が富木氏に関東天台の学僧との問答を制止していますが、同門の天台法華は矢張り手強いと感じたからなのでしょう。
  • 2013-09-22 18:02
  • 四明
  • URL
  • 編集

[C1879]

愛国沙門さん、

ご指摘の点、大問題ですね。

ところが日蓮宗をはじめとする既成の日本仏教檀家寺では、自分の寺の檀家に魔の手が押し寄せない限り重い腰を上げません。
これでは客の取り合いでしかないと云えます。

檀信徒数という寺院・教団の利害と関係なく、かの団体を有害なカルトとして社会問題として扱うことが重要だと思います。

いま日蓮宗では愛国沙門さんはじめ、ほんの一部の僧侶だけが問題意識を持つ程度で、檀信徒に至っては全く門外漢。このままでは彼らの思うつぼになるだけです。

是非、愛国沙門さんを中心に、利害を超えて立ち上がる日蓮宗僧侶が続々と湧出することを希望します。

  • 2013-09-21 08:04
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1878]

話題に沿わないコメントで申し訳ありません。今、YouTubeで顕正会幹部会歌を検索し見てみましたら「嗚呼神風特別攻撃隊」の替え歌と言うか、完全なパクりですね。管理者様も世田谷特攻平和観音を参拝されておられますから、私の気持ちを、ご理解いただけると思いますが、あんなヤクザより悪い宗教テロ、宗教ゴロの「オオエエンカ???」に、大東亜戦争末期、住民を巻き込んで修羅の戦いの最中の沖縄に、たとえ蟷螂の斧であろうとも陸海軍の若桜の方々が、知覧、鹿屋の基地から片道の燃料と、250㎏爆弾をくくりつけ、沖縄県民を助ける一心で、尊い命を捨てた鎮魂歌と言える戦時歌謡のパクりをつかうとは、浅井照衞氏等は、一体、何を考えているのでしょうか。
  • 2013-09-20 23:15
  • 愛国沙門
  • URL
  • 編集

[C1877]

>宗祖は正嘉二年のころ、岩本実相寺の経蔵に入り、一切経を閲読したと伝えられていますが、この経蔵には智証大師円珍が請来した一切経があったとされています

岩本實相寺に一切経があったことは、文永5(1268)年の日興による「実相寺大衆愁状」に明らかです。ここには、「当寺は鳥羽法王之御願、智印上人の建立なり、 (中略) 一切経論を書写し奉り、経蔵を立て」(堀日亨編『富士宗学要集 第十巻 疏釈部〔2〕』307頁)とあります。
堀日亨氏は「実相寺大衆愁状」の頭注に、「岩本の一切経ハ智印上人ノ願行ナリ、智将大師ノ将来ニアラズ、大ニ誤ルコト久シ」と記していて、従来言われているような智證(円珍)が唐へわたって二組の一切経を持ち帰り三井寺(恩城寺)と岩本実相寺に置いたというものではなく智印上人の願行であるとしています。智證(円珍)が二組の大蔵経(一切経)を持ち帰ったとされていますが「天台宗延暦寺座主圓珍傳」(『続群書類従・第八輯下 伝部』平成7年訂正3版第7刷、続群書類従完成會、701頁所収)にはそのような記載はなく史実ではないしょう。
また文中から岩本實相寺の一切経が宋版ではなく書写したものであったということがわかります。堀日亨氏は、「智印上人時代の写経である (中略) 智証大師将来の唐本の一切経だのという誤りを打破しつくすことになる」(堀日亨『富士日興上人詳伝』22頁)と指摘しています。

彰往考来
  • 2013-09-17 08:12
  • 彰往考来
  • URL
  • 編集

[C1876]

四明さん、

御高覧並びにコメントをありがとうございます。

私も日蓮の宗教活動には、専修称名念仏への対抗意識がきわめて強く、本来現世利益の代表格とされる真言密教が、命終往生の称名念仏行を専らとしていた事に対する疑義があったのではないかと思っております。

しかし専修題目ではなく、根本題目に留まったのは、やはり終生密教の影響下にあった、中期活動場面より台密の批判もみられますが、覚鑁らが新義真言宗と云われるがごとく、日蓮党はあくまでも新義台密であったと思っています。

引続きご教示の程、お願い申し上げます。

  • 2013-09-16 21:09
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1875]

宗祖は正嘉二年のころ、岩本実相寺の経蔵に入り、一切経を閲読したと伝えられていますが、この経蔵には智証大師円珍が請来した一切経があったとされています。前年に大震災があり、宗祖に思うところがあったと推察されます。宗学では佐前佐後が定説でありますが、震災前震災後で宗祖の教説がいかに劇的に変容していったかということも、東日本大震災を経験したひとりとして、新たな震災宗学という分野も開拓する必要があると考える次第です。義真・円珍の寺門派系台密と宗祖の関わりも考えていきたいと思います。遺文になぜか宗祖は叡山遊学時期の事跡を詳しくはお書きになられていません。遺文を読むと東密・台密批判が強い文体で記述されていると、論客・論者の多くは法華経至上主義と読むでしょう。半面は当たっていますが、宗祖は、法然特に鎌倉で対峙していた浄土宗三祖良忠を強く布教面で被ることがあるため、教説は聖道門を基調としつつも、浄土門に収斂させるという一筋縄でいかない論理構成をとっています。「報恩抄」「法華取要抄」に三秘論が密示されますが、あれだけ密教を批判しながらも方法論的にひそかに取り入れている可能性もこれから深く論じていかなくてはならないでしょう。
  • 2013-09-16 18:07
  • 四明
  • URL
  • 編集

[C1874]

愛国沙門さん、

御高覧並びにコメントをありがとうございます。

確かに比叡山延暦寺と称しますが、かの一帯は「寺院」としてはかなり異質ですね。

堂塔伽藍の整備としては、大寺院というよりも堂宇が散集している一山といえるかと思います。

話はずれますが、次女の歴史の教科書をみると、仏教と密教を別なものとして表現しているところがみられます。現代教育ではこうなのかと思った次第です。

  • 2013-09-14 22:52
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1873]

日本最古の仁王門は、斑鳩法隆寺の中門とされております。白鳳、天平時代に雜密が入っていることは、南都七大寺や法隆寺を拝観すると誰でも判ります。私が今まで参拝した大寺で、いわゆる仁王門(山門、三門など)の無い寺院は、比叡山延暦寺だけです。比叡山東塔、根本中堂に向かい合って、少し高い所に建つ三門風の建築は、文殊楼と呼ばれ、楼上に眷族を従えた文殊菩薩が安置されており、ある意味、根本中堂の門の役割もあるそうです。また、寺によっては二天門と呼び、持国天、増長天を門の中に安置する場合もあります。明治神宮など官弊社(官弊大社、中社、小社)の中には神門が有る神社も多く、随神と呼ばれる衣冠束帯に弓矢で武装した武神像が仁王のように、阿吽二体安置される場合もあります。カトリック教会の大天使ミカエル像も、古代ローマ風の甲冑を身に着け、右手に剣を持ち、足下に悪魔を踏みつけ、四天王や降三世明王に似た姿ですが、顔は憤怒形ではないが、カテドラルなど聖堂の門の上に安置されます。古代ヘレニズムに遡ると、仏教(密教)の仁王、四天王とミカエルに接点が有るかも知れませんね。しかし、比叡山を定光院から、一通り巡拝すれば宗祖と密教の関わりが視覚に見えます。
  • 2013-09-14 21:49
  • 愛国沙門
  • URL
  • 編集

[C1872]

阿呆陀羅經さん、

御高覧並びにコメントをありがとうございます。

清澄寺雑密系に関しては、私の友人も同意見でした。
また大石寺板漫荼羅批判でも知られる窪田氏の子息かなにかも、過去に清澄寺雑密説を発表していたと思います。

雑密に称名念仏の行法があれば、清澄寺が雑密系の可能性は非常に高いと思います。

虚空蔵菩薩求聞持法と称名念仏行の双方が確認できれば、日蓮在世時の清澄寺がもう少しうきぼりになると存じます。

  • 2013-09-14 19:42
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1871]

写真の仁王門は、宇治の平等院鳳凰堂から中堂部分をコピーし、派手な装飾を施した、あまり趣味の宜しくない意匠ですね。

そういえば、大石寺の奉安堂は、東大寺大佛殿と善光寺如来堂の合成コピー、客殿は禁裏御所紫宸殿の不敬コピーと、富士門流系は“キッチュ”や“パッチワーク”を頗る好んでいるように見えます。

ご主張の“日蓮密教僧説”については、大いに首肯出来るところですが、私見では日蓮は、東密と修験を通して親密な関係にあった円珍流、すなわち寺門系の台密を基盤に修行を重ねていたように考えております。

ちなみに、日蓮が若き日に修したという“虚空蔵菩薩求聞持法”は、奈良期から存した雑密-空海の純密請来以前の密教-系の修法で、安房の清澄寺は、その古来からの霊場ではなかったかとも思っております。
  • 2013-09-14 19:22
  • 阿呆陀羅經
  • URL
  • 編集

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

冨士教学研究会 管理者

Author:冨士教学研究会 管理者
ブログ「冨士教学研究会 管理者のオワコン日記」へようこそ!
日蓮正宗・創価学会等の富士門流関連寺院・諸団体に関する議論は、池田大作氏の影響力低下と、諸賢の研究・考察・発表等によって、概ね結論はみえてきました。
それと同時に、冨士教学研究会の役割もほぼ終わりかけていると思います。
今後は、政治・宗教・社会等の問題を気ままに記してまいります。
更新頻度は特に定めません。皆さんも時間のあるときにのぞいてみてください。

最近のトラックバック

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索