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やられてもやり返さない-弥千歳麿

弥千歳麿とは正覚房覚鑁の幼名である。

この度、週刊朝日百科仏教を歩く「万人のために懺悔する『覚鑁』と真言密教」を読む。

覚鑁は地侍の三男として生まれ、位の高い武士から父親が辱めを受けている姿を垣間見て育ったようである。
その父親の姿に失望し、この世で最も尊い大日如来を求める仏道に魅かれ、父親亡き後仏門に入ることになる。

覚鑁は高野山で8回の伝法灌頂、同じく8回の虚空蔵菩薩求聞持法を成就。
その他、醍醐寺にて理性院の灌頂を授けられ、天台寺門の大法、東大寺にて三論・華厳教学を学んだ。これらの他門三師は、賢覚、覚猷、覚樹で、「覚」の字がつくのは偶然だろうか。

当時の高野山は「聖」(ひじり)と呼ばれる念仏に専念する高僧が多かったようである。

台家も恵心によって浄土教が広められ、世は僧俗共に念仏をもって自他の救いを願い説くことが主流であった。

覚鑁は台家・伝教大師こと最澄と似ており、各宗派に分派した佛教を観るにつけ、総合仏教を提唱していた。
しかし最澄が結局一宗の祖となったように、覚鑁も新義真言宗の祖となっていく。

それでも真言密教の中興と云われ、興教大師の大師号がおくられている。

覚鑁が総合仏教として統合したかったのは、浄土教と密教である。

しかし覚鑁とその一門をこころよく思わない一派は、武力攻撃によって寺領の破却や僧侶の殺害まで行うようになる。
覚鑁はこれらに一切武力で立ち向かわないよう、衆徒たちに厳命したという。
さらに覚鑁に帰依していた武家より、身辺の警護を申し出られたがこれも拒否。

覚鑁の晩年は、千日無言行と戦乱の中で過ぎて行った。
その中で全ての人々の罪過を、一身に受け懺悔し、他の人々に罪過の報いがいかないよう念願したと云われる。
そしてわずか49歳の生涯を終える。

私には真似のできない忍耐力と慈悲深さ、そして学と行を兼備した僧であったようで、その精神は新義真言宗系の中でも智山派に一番受け継がれているのではないかと個人的には思った。



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コメント

[C1849]

四明さん、

御高覧並びにコメントをありがとうございます。

確かに現代社会は、倍返しで解雇・左遷になるか、堪えて鬱病などになって絶えていくか、あるいは最近の若者のように出世すること自体を拒否して働いていくか、過去の年功序列・終身雇用の時代よりも労働環境が緊張状態にあると思います。

本来このような時代だからこそ、宗教が人々を支えるべきなのでしょうが、伝統教団は故人の追善、今を生きる人を支えるのは新宗教ばかりで、おかげでカルトに身を染めざる得ない人が後を絶ちません。

この悪の連鎖を断ち切ることが、現代における「折伏」行ではないでしょうか。最近はそんなことを考えています。

  • 2013-08-11 11:58
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[C1848]

マルクス主義歴史学者としておそらく生前中最後まで現役の共産党員であったであろう黒田俊雄氏は、これまでの鎌倉新仏教論に対して、顕密体制論の説を1970年代に打ち出し歴史学界にセンセーショナルを起こしました。黒田氏はマルクス主義歴史学が定型的固定的な唯物史観にこだわっていたのを現役党員ながら党の方針を批判して、原典を読み直し、中世になってからも急激に鎌倉新仏教にとってかわられたのではなく、天台・真言の顕密体制が主流であったと論証しました。兼学兼宗は現代の諸教団ではそれこそ「大謗法」「反逆者」と異端の烙印を押され、それこそ片道切符の「出向」「転籍」扱いですが当時は盛んでした。堅樹院日寛は「仏敵・法敵あり。主師親の釈尊を捨てて余仏を崇重するは仏敵なり。諸経中王の法華経を捨てて諸経を信ずるは法敵なり。「法王の一人」は「唯我一人」の事なり」(「如説修行抄筆記」『文段集』七五八上)とありますが、日寛は空海の『法華経開題』になぜか触れていません。「問う、出家の人に於ては刀杖等を許さざるや。答う、これ時に依るべし。若し謗者充満の時に当たっては縦い出家と雖も、何ぞ仏法守護の為に刀杖を執持せざらんや」(「立正安国論愚記」『文段集』四七上)末法濁世は半沢直樹氏の「倍返し」「十倍返し」の修羅道を歩くのが限界なのでしょう。
  • 2013-08-11 09:26
  • 四明
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[C1846]

愛国沙門さん、

御高覧並びにコメントをありがとうございます。

覚鑁の御影は弘法大師の御影をもとに作成されたのかもしれませんね。
寿像は無いようです。

日本真言密教は弘法大師以来、法華経を重んじる宗派ですので、不軽の精神を体していた可能性はあるかもしれません。

覚鑁が浄土教と密教の融合を試みたように、日蓮は法華宗と密教の融合を大漫荼羅に試みたのかもしれません。

中尾名誉教授は日蓮が台密僧として、清澄寺にて虚空蔵菩薩求聞持法を行じたと云いますが、台密に虚空蔵菩薩求聞持法があるという事にいまだに行きつきません。
虚空蔵菩薩求聞持法は東密の行法とみて間違いないと思います。
日蓮当時から清澄寺は真言宗だったと私は小結しています。
中世は真言宗寺院も念仏を称える僧が多かったのです。清澄寺が真言宗の寺院で、道善阿闍梨が念仏を称えていたのは、「聖」(ひじり)の一人として、真言僧として何一つ特別な事はありません。

日蓮は天台沙門を名乗るようになり、真言批判を始めますが、もとは真言宗の出家得度ではないかと思います。

  • 2013-08-05 20:47
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[C1845]

興教大師については、新義真言宗を立てた方としか存じ上げませんでした。管理者様。ありがとうございます。あと寺院用の仏具カタログに真言宗の両大師像として、金剛杵と金剛鈴を持つ弘法大師像と、法衣の下に印契を結ぶ興教大師像の写真が二つ並んでいるのを、見ただけです。傳教大師、天台大師像の二体は特徴有る姿。日蓮聖人と日興上人や日朗上人などは、お顔に特徴を付けます。しかし弘法大師、興教大師は全く同じような、お顔に作られているようで、仏師は何を基準に新義真言宗、智山派、豊山派の祖師像彫刻をしているのか疑問でした。おそらく興教大師の生涯を知らずに、カタログ通り製作しているのではと疑います。清澄寺も日蓮宗に改宗する迄、新義真言宗智山派の時代が有りました。そのような歴史を考えると、因縁を感じられます。しかし、やられてもやり返さない。常不軽菩薩を思わせますね。
  • 2013-08-04 22:54
  • 愛国沙門
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