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別冊太陽 日蓮

北山客殿

画像は「別冊太陽 日蓮」(渡辺宝陽・中尾堯監修)に写真掲載された、北山本門寺客殿の御宝前である。

同誌には、「真蹟曼荼羅本尊は少数であり、貴重であることから、複製の(形木本尊)を作成したり、木板に掘ったり(板本尊)を法華堂に掲げる例もある。この北山本門寺のご本尊の様式は、古式を今に伝える。板本尊向かって右が日蓮聖人像、左が日興聖人像。」とある。

『向かって』といった場合は、逆ではないのか。立正大学・日蓮宗のお偉い様は、日蓮と日興の違いも判らないのか。
それとも『向かって』という方向認識を私が間違っているのか。

日蓮大漫荼羅御本尊を研究の諸賢には一見して判別戴いたと思うが、この主題と花押、四天王・不動愛染は、安92番、現在京都本能寺(法華宗本門流大本山)所蔵の日華授与の本尊である。

北山本門寺がこの本尊を重宝するのは、日蓮-日興-日代の系譜を退け、日蓮-日興-(日華)-日妙の系譜を重んじんが為である。
北山本門寺は伝鎌倉期の日蓮御影を祀る本堂にも、御影像の後ろにはこの日華授与の本尊(印刷複製)が懸けられる。

それはさておき、お偉い様が「古式」というこの御宝前の板本尊は、小筆で書かれる諸尊が無い。「古式」といっても、三尊自体が古いものとは思えないが、咄嗟に「川辺メモ」の記述を思い出すのは私だけだろうか。

記憶のままに記すと「主題と花押は日禅授与の御本尊の模写、他は時師か有師のころの筆」こんな感じのメモであったと思う。

南北朝から室町初期にかけて、主題と花押などの大筆で書かれた部分のみを板に掘ったものが、富士門流では主流であったのだろうか。
そして後に小筆で書かれている諸尊を加筆した例が、所謂「本門戒壇之大御本尊」なのだろうかと。

それにしても北山本門寺も、中尾氏らには宝物をマジマジと見せるだけでなく、このような鮮明な写真まで撮らせているではないか。
どうせなら御霊宝御風入会でも、一般参詣者に写真撮影自由にしたらどうか。



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コメント

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[C1835]

四明さん、

御高覧並びにコメントをありがとうございます。

日永さんは、経営手腕があったとのご教示、当時としてはきっとその通りなんでしょうね。
今どきの坊さんと比べれば、まだまだなんでしょうが。
日妙は地頭の圧力とともに、日蓮直参弟子であり、日興本六人の一人でもあり縁ある日華をバックボーンとすることで、重須を掌握したのでしょう。

日華は白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事にも大石寺日目をしのぎ筆頭に名が上がる第一弟子です。大石に対抗する意味でも重宝した事でしょう。

但し日蓮御筆御本尊には「日華授与」となっているのに、白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事は日号が記されていないのは少々気になるところです。

  • 2013-07-19 20:13
  • 管理者
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[C1834]

北山本門寺が日妙の法脈を重視する理由は、地頭の石川氏が日妙寄りだったからです。日妙は重須大坊派として日澄・日順の談所派を権力で圧倒したわけですが、おかげで御書が読めない僧があふれ、北山独自の教学が育たなかったことが、戦前の身延合同に戦後も行政的にも日蓮宗から独立できなかったのではないでしょうか。日妙派に学僧なく、戦国も稚児法主、江戸時代は色衣に火災がたびたび起き、御影もおそらく焼失したといわれます。堀上人が「何となく頭が下がらぬ」といったのもこのことを指すのでしょう。また大石寺の永師はかなりの経営家で、おそらく寺運興隆に色々な策を講じられたのでしょう。
  • 2013-07-19 19:26
  • 四明
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[C1833]

彰往考来さん、

御高覧並びにコメントをありがとうございます。

これに懲りずに、第66回大会でのご活躍を陰ながら応援しております。

お偉いさん方がこのような為体の中、在家の研究者が大会を盛り上げようとしていることを、日蓮宗・立正の方々はよくよく頭を垂れて知るべきだと思いますよ。

  • 2013-07-17 21:05
  • 管理者
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[C1832]

この人たちは日興門流や御本尊について何も知らないということを文書で暴露したようなものですから、『別冊 太陽』もそれなりに意味があったといえます。これ以外にも『別冊 太陽』にはおかしな記述があります。

ま、しかし何もご存じないですね。開いた口が塞がりません。相手にするのは時間の無駄というものというのがよくわかりました。もっともお前さんはどのくらい理解しているのかと問われると心もとないですが。

彰往考来
  • 2013-07-17 07:53
  • 彰往考来
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[C1831]

尚半道人さん、

御高覧並びにコメントをありがとうございます。

片岡先生の御書(おんしょ)は、随喜居士の直筆の事で、日蓮御筆ではございません。
誤解を招く記述、大変失礼いたしました。
これでは立正の先生方をとやかく言えないですね。

随喜居士の御直筆の入った桐箱に、「御書」と書かれてあったので、立正安国会では随喜居士のお文字を御書と呼ぶのかと思っておりました。

  • 2013-07-16 20:29
  • 管理者
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[C1830]

管理人さん
お世話になっております。記事および写真を興味深く拝見いたしました。

ご紹介されている『別冊太陽』(平凡社)の写真は、めずらしい形式の板御本尊で、正直申し上げまして頭が下がりません。

そもそも、なぜ諸尊の勧請がなされていないのでしょうか。不思議です。

また、ご指摘の雑誌の記事、「板本尊向かって右が日蓮聖人像、左が日興聖人像」とは、正確には板本尊“より”向かって、としなければ、左右が反対になってしまいます。しかも、その記述ではわかりづらいでしょうね。

一般人も在家信徒も読む美術系雑誌ですから、「板本尊“に”向かって」と、私たちから見た左右を記すのが、常識的かつ親切な配慮といえましょう。

ところで、北山本門寺客殿御本尊をみてふと思い出したのは、“所謂「本門戒壇之大御本尊」”が当初、

「御本尊を日法師が彫刻せられた時は墨漆の御仕揚げであったが年代を経た為参詣者には唯黒く見受け判明せぬのを慨き石山廿四世日永師の代に腰書以上の御文字へ金箔でおし金装置をせられたが」

云々と松本佐蔵『弘安二年大曼荼羅と日興師』にあることです。

日永師は大石寺客殿本尊も模刻されているようですので、そのころの化粧直しかもしれませんが、いかんせん著者の伝聞にもとづくので、本当のところはどうなのでしょうか。

日永師は、かねて管理人さんがご研究分野にされている三鳥派関連で出てくる上人ですから、すこぶる興味をひきます。

ではまた。

追伸:「いつの日か私蔵の片岡随喜大先生の御書もお納めしたい」とございますが、随喜居士旧蔵の御書をお持ちなのですか? だとしたら貴重ですね。
  • 2013-07-16 14:38
  • 尚半道人
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[C1829]

愛国沙門さん、

御高覧並びにコメントをありがとうございます。

片岡先生のところでは、御真蹟を目の前で心ゆくまで拝観できますね。

五体投地の勤行は正直きついですが、温かみのある行事だと思います。

いつの日か私蔵の片岡随喜大先生の御書もお納めしたいと思っております。

  • 2013-07-15 21:22
  • 管理者
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[C1828]

こちらは私も書店で購入しました。太陽は定評の有る文化誌であり、さらに、今回の本は、世間一般各位に向けた、言わば日蓮聖人図鑑とも言うべきなので、各先生方に於かれては慎重の上にも慎重を期していただきたいですね。宗祖のお持ちになられるは巻子本で、御開山のお持ちになられるは折り本もしくは冊子本、お顔は宗祖は若々しく、御開山は少し年配に作れと聞いております。壽量品に依拠する説でしょうか。ところで、写真の御本尊は客殿、お厨子を開いた、お姿ですね。4月の御風入れ会では本堂の生御影尊お厨子は開かれ、例年、拝しておりますが、客殿は拝したことは一度もありません。ところで中山法華経寺聖教殿見学会。とても参加するのが嫌で、財団法人法華会からの案内に欠席を出しました。立正安國會の主導先生も「私に案内が来ないとはおかしいよ」と、昨秋は仰せでした。一方、片岡随喜居士御縁の立正安國會の御風入れ会は、座して、ゆったりと拝する法要であり、とても感銘を受けました。今年も、片岡先生の御風入れは参拝し、中山の見学会は欠席します。
  • 2013-07-15 16:44
  • 愛国沙門
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Author:冨士教学研究会 管理者
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日蓮正宗・創価学会等の富士門流関連寺院・諸団体に関する議論は、池田大作氏の影響力低下と、諸賢の研究・考察・発表等によって、概ね結論はみえてきました。
それと同時に、冨士教学研究会の役割もほぼ終わりかけていると思います。
今後は、政治・宗教・社会等の問題を気ままに記してまいります。
更新頻度は特に定めません。皆さんも時間のあるときにのぞいてみてください。

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