現在の閲覧者数:

Entries

「了玄院日精上人の御本尊に関する一考察」にもの申す

法華仏教研究第14号に再び腑に落ちない小論が出ている。

「了玄院日精上人の御本尊に関する一考察」である。

一々指摘するのも疲れるが、かの小論では『インターネットに流出したもの(以下、流布本と称す)』などとして、改竄された日精本尊の画像を取り上げている。

この画像は冨士教学研究会の掲示板(現在はプライベートモードにて運営)にて、大縫薫氏が投稿した画像である。

それを知ってか知らずか、『インターネットに流出したもの(以下、流布本と称す)』などと記すのは、失礼にもほどがある。

あの当時、大縫氏を信頼していた私は、投稿画像が画像集成ソフトを使って、編集されていることはわかっていたが、ここまで大幅に改竄をほどこし、我々を欺いていたとは気づけなかった。

この大縫氏の罠にまんまとハマったのが、創価学会系の謀略部隊達で、まず最初の犠牲者は謀略機関誌フェイクである。フェイク第794号は冨士教学研究会の掲示板投稿画像を無断転用した結果、大縫氏の罠にかかり大縫氏投稿の画像を使って、日精批判のネタにしたのである。
これでは逆に赤っ恥をかいたことになる。
これではっきりしたことは、創価学会の謀略部隊は冨士教学研究会の掲示板等をこまめにチェックしていると云う事であった。

そして次の犠牲者が一応博士号を持つ松岡氏である。
しかし松岡氏が引用したのは、自分が主催する謀略掲示板「ポドチョン長官(黄色)」に、大縫氏が別ハンで投稿した部分画像である。

そして「伝燈への回帰」を執筆した関慈謙氏も同様に、大縫氏投稿画像に騙された一人である。
関氏も創価学会謀略機関誌同様、冨士教学研究会の掲示板投稿画像を無断転用している。
元興風談所所長である学僧として、あるまじき所業と断じておこう。

創価といい、松岡といい、関といい、どいつもこいつも宗教者、学者としての品格に欠ける。
これで坊主だ博士だといっても、誰が尊敬などするものか。

こんな人間たちのもとで信仰しているものの神経がしれない。

それにしても、大縫氏が多くの研究者等を故意に欺いてきたことがわかると思う。
その意味では、法華仏教研究第14号は多少は参考になる。

大縫氏の改竄画像、嘘の情報はこれに留まらない。
私は彼の嘘を真に受け、無駄な交通費を使って無益の場所に何度も足を運ぶことがあった。
彼はこのように人を騙し、欺き、信じたものをみて悦に浸っているのである。
これまで大縫氏の提供画像を信じて論文・論考を執筆してしまった人は、自分が騙されている事に気づき、彼の悪人の所業を断罪すべきだと思う。

ま、持病で地獄をみるのは時間の問題だとは思うが、彼には生きている間に痛い目にあっていただきたいと思っている。


なお大縫氏は現在、mixiにて『ねっこりんこ』と名乗り、嘘・デマをばらまき続けている。
要注意である。




スポンサーサイト

コメント

[C1658]

れんさん、

私は日蓮門下でまことしやかに語られる「叡山留学」なるものは、事実かどうか疑ってしかるべきだと思います。

天台僧であれば、叡山は修行の場であったでしょう。

なら十二年籠山行は基本のカリキュラムで、かつ阿闍梨を名乗るには、それ以降にそれなりの修行が必要なはずです。
日蓮入滅時の日興の年齢からして、その時点まで天台僧として修行していなければ、修行も成満していないものに、日蓮は勝手に阿闍梨号を付与し、日興は勝手に付与された阿闍梨を名乗っていた事になります。

そんな出鱈目を「相伝」や「口伝」などでごまかしても、叡山が認めなかったのは当然であり、正当でしょう。

日蓮がどう云った、日蓮の遺文にどうある、日興門流文書にどうあるかは、当時の天台僧の世界には関係なく、日蓮教団が勝手に阿闍梨号付与をしていたか、あくまで天台僧として定められた修行をこなしていたかが重要だと思います。

口伝や相伝で阿闍梨になるなど、日蓮・日興がそこまで堕落した坊主だとは思えません。



  • 2013-01-22 23:04
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1657]

管理者様、日興上人の比叡山との関わりですが、妙本寺蔵の「雑録」の中にある日興上人談・三位日順師筆録の“自開山聞書申法門集”(日順雑集の中の従開山伝日順法門)には“自静明法印口伝之”とあります。静明法印は弘安・正応年間辺りの遷化とどこかの資料で読んだ記憶があります。永仁二年(一二九四年)に生まれた日順師と静明法印には師弟関係は成立しないので、静明法印から口伝を受けたのは、この聞書の談者である日興上人その人でと思われます。つまり、日興上人はお若いころ、比叡山に留学した可能性が高いですね。その時期は、文永八年の日蓮聖人の佐渡流罪に、日興上人は供奉されているので、大変大雑把になりますが、文永八年以前となると思われます。興師と天台教団についてはここら辺を考察するべきかと存じます。不軽菩薩と日蓮聖人についてですが、竜口の頸の座以降では、寺泊御書の「日蓮不軽菩薩たるへし」に始まり、佐渡御書の「いかなれば不軽の因を行じて日蓮一人釈迦仏とならざるべき」顕仏未来記「彼二十四字与此五字其語雖殊其意同之。彼像法末与是末法初全同。彼不軽菩薩初随喜人、日蓮名字凡夫也」南部六郎三郎殿御返事「釈尊引載我因位所行勧励末法始。不軽菩薩既為法華経蒙杖木忽登妙覚極位。日蓮此経之故被刀杖二度当遠流。当来妙果可疑之」身延入山後の曽谷入道許御書「今既入末法在世結縁者漸々衰微権実皆悉尽。彼不軽菩薩出現於末世令撃毒鼓之時也〇以題目之五字可為下種由来不知歟」不軽菩薩の名は出さないけれども瀧泉寺申状に「勧進法界奉唱南無妙法蓮華経」そして諫暁八幡抄の「末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此なり各々我弟子等はげませ給へはげませ給へ」の遺言にいたるまで拝読するに、日蓮聖人における不軽菩薩は、聖人の殊に“下種”・“因”の教義において大変重要なタームであることを再認識しました次第です。


  • 2013-01-22 21:59
  • れん
  • URL
  • 編集

[C1654]

れんさん、

度々のご教示ありがとうございます。

れんさんのお考えはともかくとして、日蓮系の宗派が台密色の払拭の為に、こじつけ論法が横行しているのは、昨今の教学大会等を聴講しても事実だと思っています。(もちろんすべての人がというわけではありません)
その為、高橋氏の所論を鵜吞みにはできないと思った次第です。
もちろん氏が有能な研究者であることは存じております。

上野の摩利支天に行ったときに、護摩木が置いてあったことに驚いたのも、日蓮宗としては大変珍しいと思ったからです。

ともかく日蓮の弟子たちが、どのような経緯で阿闍梨となったかは、再考してみたいと思います。

  • 2013-01-21 06:20
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1652]

管理者様

私が、強調した部分は、現代風に言えば、日蓮聖人・日興上人が、台蜜僧・法華経持経者の系譜を引きながらも、文永八年を頂点とする“法難”を法華経の色読ととらえ、日蓮聖人・日興上人等が到達した、いわば従来の台蜜・持経者の枠からははみ出した、新境地の部分を特に強調申し上げたものです。

日蓮聖人・日興上人等の世界観の土台は、もちろん天台蜜教の僧として、また法華経持経者として若き日に学び行じられた、当時の日本人の仏教僧・知識人の“常識”にあることは寧ろ前提として、申し上げております。


端的に言えば、宗祖日蓮聖人が寿量品の或説己身・或説陀身を説明するのに、晩年の弘安三年の日眼女御返事に至っても諸仏の中に「中央の大日如来」とお書きになっていることからも、前提・土台となる世界観が台蜜のものであったことは前提条件で、もちろん、蜜教的世界観を無理に排斥するものではありません。




  • 2013-01-21 03:38
  • れん
  • URL
  • 編集

[C1650]

れんさん、

なるほど園城寺ですか。
密教色は強くなりますが、回峰行との関係はいったん考え直さなければならないかもしれませんね。

しかし不軽の実践にとって代わるものは、千日回峰行を除いて他に考えられますでしょうか。

密教色を排したいあまり、当時天台宗の僧であった、日蓮・日興の修行を台密行からあまりにも隔離するのは、日蓮宗側の見解でしかないように思えます。

  • 2013-01-20 23:45
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1649]

管理者様

管理者様の仰せの段、大変深く傾聴すべき御高見ではありますが、他門の方の見解では、例えば高橋俊隆師のサイトによりますと、興師は三井寺の法流に属する厳誉の弟子となり、三井寺つまり近江園城寺で仏教を学んだという伝承があるようです。園城寺でも、回峰行があるのでしょうか。

でも興師が比叡山で学んだという伝承や記録がありましたら、管理者様の御高見には大変説得力が出てまいりますね。


一応、調べてみますと、確実な文献で、興師の阿闍梨号の初見を調べてみますと、弘安五年十月の宗祖御遷化記録(の中の同月八日付けの一弟子六人事)ですから、興師の阿闍梨号は、阿闍梨を名乗っておられた(宗祖が阿闍梨であったのは宗祖ご自身の写本が残る行敏書状に見えます)宗祖により、宗祖の最晩年に器許せられて授与された可能性があります。

寧ろ、“阿闍梨”から回峰行に着目するならば、確実に比叡山におられた若き日の宗祖日蓮聖人が、回峰行を行って阿闍梨になられたという方が、推測としては無難ではないでしょうか。




  • 2013-01-20 22:23
  • れん
  • URL
  • 編集

[C1647]

れんさん、

天台僧の日興が、勝手に阿闍梨を名乗ったとは思えず、やはり日興も千日回峰行を行じて阿闍梨になったと考えるのが至当ではないでしょうか。

富士門流の相伝はそれとして、天台宗を批判した上で成立した後付の理論ですから、日蓮当時の門下は天台宗の僧として受戒・得度し、行学に励んで僧位を上げていったことでしょう。
でなければ、修行もしていないのに勝手に阿闍梨を名乗っていた事になり、迫害を加えた者たちに理がある事になります。

  • 2013-01-20 21:36
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1646]

管理者様、御高見の御教示、有難うございます。

等海口伝抄に見える、不軽菩薩に関する俊範法印の御義は以下の通りです。

「俊範御義云、釈尊本因行者不軽菩薩也。此菩薩教導本未有善者方化他也。有界内穢土修行止観方自行也。是名本仏行因也。本因行時能化仏者止観本尊也。実相也。一心三観也。阿弥陀也。無作三身也。能化本仏無作三身也。本果仏云成此仏也。無作三身者別無名仏也。故経釈不出其名也…」

しかるに日蓮聖人の御義は、佐渡御書(初期常門の等覚院日全師の著作に肯定引用あり)に「いかなれば不軽の因を行じて日蓮一人釈迦仏と成らざるべき」その内実は観心本尊抄に「釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足我等受持此五字自然譲与彼因果功徳〇妙覚釈尊我等血肉也。因果功徳非骨髄乎」具体的には南部六郎三郎殿御返事(日興上人・三位日順師写本・重須本門寺蔵)に「仏不軽品引自身過去現証云、爾時有一菩薩名常不軽等云々。又云、悪口罵詈等。又云、或以杖木瓦石而打■之等云々。釈尊引載我因位所行勧励末法始。不軽菩薩既為法華経蒙杖木忽登妙覚極位。日蓮此経之故現身被刀杖二度当遠流。当来妙果可疑之乎」で南部書の「不軽菩薩為法華経蒙杖木」の法華経も、後の四信五品抄の「云直専持此経者非亘一経、専持題目不雑余文、尚不許一経読誦、何況五度。云廃事存理者偖戒等事専題目理云々」の意より配すれば、題目五字と云うことが理解できます。
行忍抄の日興上人御筆部分の「本初是寿量因」の御文“寿量因”とは、日蓮聖人のお書きになった御書の上から拝すれば、日蓮聖人御義における不軽菩薩であると拝察しております。



  • 2013-01-20 19:19
  • れん
  • URL
  • 編集

[C1642]

れんさん、

天台宗で千日回峰行を始めたのは平安期の相応和尚です。

『この行は法華経中の常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の精神を具現化』と天台宗では説明しています。

そしてこの千日回峰行を満行した者のみが『阿闍梨』を名乗ることができます。

日興も千日回峰行を行じて「白蓮阿闍梨」となったのだと思います。

七年間にわたって万物礼拝行を行い、護摩焚のような密教色ではなく、坐禅のような止観業でもなく、長期にわたる礼拝行の実践の中で、阿闍梨となり日蓮の弟子となったと推測しています。


  • 2013-01-15 21:37
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1641]

四明さん、

御高覧並びにコメントをありがとうございます。

その早川氏の弟子が、単立尊門系寺院の静岡妙音寺住職ですね。

以前、写真非公開の興師本尊の拝観に訪問した事がありました。

独特な経本を使っています。
御子息は要法寺ではなく、日蓮宗で僧籍をとったみたいですね。

  • 2013-01-15 21:26
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1640]

片山日幹師と早川達道師は教義解釈をめぐって対立・確執があったようです。片山師の数次にわたる訪印で、北山の境内に牛の寝そべった像を建立したこと、あと馬頭観音が原因です。早川師は執事長を追われ、四面楚歌になりました。矢張り小西法縁と興統法縁の出自の違いでしょうか。富木日常門流は晩年の川澄氏が研究していましまた。かつて昭和55年頃でしたか、学会幹部のお詫び登山で例のお騒がせの御仁が、「身延は教相主義、中山は観心主義」との御指南がありました。今ではすっかり荒行道場になってしまい残念至極です。宗祖『諌暁八幡抄』にのたまはく「王と申すハ天人地の三を串と名つ(く)、天人地乃三ハ横也、たつ点ハ縦也、王と申黄帝中央乃名也」総理におかれましては国土世間を仏国土に三変土田してもらいたいものです。
  • 2013-01-15 21:00
  • 四明
  • URL
  • 編集

[C1639]

管理者様

御高見のご教示、有難うございます。

所謂佐前は、“天台沙門日蓮”として理解して間違いないと思いますが、竜口法難~佐渡流罪からは、不軽菩薩観一つとりましても、台家に於ける蓮祖の師と伝承されている俊範法印と異なる独自の見解を構築されており、後に富士日興門流で明示される台当違目の萌芽は、既に宗祖日蓮の段階からあったものと考察されます。

それに拍車をかけたのが弘安期の日蓮聖人門弟の台家寺院からの擯出(興師等)であり、蓮祖が臨終の直前に枕元に大漫荼羅を懸けた事績であろうと愚考しております。
  • 2013-01-15 11:50
  • れん
  • URL
  • 編集

[C1638]

れんさん、

度々のコメントありがとうございます。
現在もそうですが、日蓮の指摘した通り、天台宗と真言宗はほとんど変わりがありません。
専門家やマニアでなければ、両宗の違いは判らない程です。

そこまで密教化していた天台宗に、天台沙門日蓮は複雑な思いであったろうと思います。
なお、「天台沙門」は、それなりの僧位のある僧侶が使用しますね。

日蓮及び高弟の多くが、天台沙門を名乗っていたことは看過できず、当時完全に密教化していた天台宗のそれなりの立場を持っていた僧侶集団が、日蓮党だったのではないかと思います。

あくまでも天台宗であり密教、であればこそ唯一大漫荼羅には、その痕跡を残していると思えます。

しかし紙の大漫荼羅の前で、火は焚かなかったろうと思います。

  • 2013-01-14 22:00
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1637]

高祖日蓮聖人の御花押についての、現在の学問の上からの分析につきましては、何分、自分はまだ仏教に関する古代サンスクリット・梵字の勉強には手を付けてないので、皆様の御高見を拝聴するのみです。


当門流には、蓮祖の御花押の意義についての切紙に、“御判之筆法”や“御本尊梵字口伝”(身延山蔵版の本尊論資料によると、こちらは、一部、富木日常師門流の口伝書にも共通する文章がある)がありますがどうでしょうか。


なお鎌倉末期までに身延山~富木日常師門流で成立の、大聖人御伝の逸文(行学院日朝師の元祖化導記に或記として引用)に「(弘安五年)十月十二日酉刻、向北坐玉ヘリ、御前机立供花焼香年来御安置立像釈迦仏立参申タリケレハ、挙目御覧有面振、アル御弟子御自筆大漫荼羅可奉懸耶伺申サレケレハ、最答サセ玉フ間、仏像少傍押寄参、其後御直筆妙法蓮華経漫荼羅懸御覧有」との御遷化の前日の日蓮聖人の御事績を伝えているのは、聖人が御遷化に臨まれるなか、聖人御自身の“末法利益”にかける強い心情“想い”が偲ばれるものがあります。これが、蓮祖の御筆妙法蓮華経大漫荼羅を最大限尊重している日興門流ではなく、他門流に伝わる伝承であることに興味深く思っている次第です。



  • 2013-01-14 19:19
  • れん
  • URL
  • 編集

[C1636]

尚半道人さん、

度々のコメントありがとうございます。

昨年、札所まわりとして他宗の寺院をかなりの数参詣しましたが、その管見では日蓮が教学的影響を受けた覚鑁の系列に連なる、広義の新義真言宗では、愛染・不動の中尊にある本尊が一定しておらず、大師そのものが中尊であったり、大日であったり、観音であったりします。しかも左不動の寺院もあります。

日蓮が花押にどのような意義を込めたかは、尚半道人さんの指摘のように、複数の意義づけ、あるいは意義づけに変換があったことも含めて考察しています。

建長六年に日輪に愛染を、月輪に不動を感得している点は看過できず、日光・月光を視野に入れたところです。
まだまだ、諸賢のご教示に頼らなければなりません。
良い史資料があれば、是非ご教示下さい。

  • 2013-01-13 08:22
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1635]

管理人さん

いつもながら、迅速かつ的確なコメントをいただき、感銘いたします。
ありがとうございます。

忘れないうちに、覚え書きをメモさせてください。
参考になればさいわいです。

(1)日蓮聖人花押の意義づけは、多重構造を持つと考えられないのか(たとえば、年月を経るにしたがって、新しい意義づけが次々と(矛盾せずに)加上されていった可能性、など)。

この認識によれば、「バン」か「ベイ」か「マニ宝珠」か、ではなく、「バンもベイもマニ宝珠も」という考えも排除されない(立証は難しいが)。


(2)「日蓮」と花押が当初はなれていたのは、虚空蔵菩薩から智恵をさずかったこと・不動と愛染を感見したことと、天台法華の教相とに齟齬があった(合理的な説明ができない時期があった)からではないか。

それが後年にいたって接近していったのは、そこに合理的な説明を加えられるようになったー龍口における頸の座からの生還という”第三の感得”ー要素がくわわったことと関係するのではないだろうか。


(3)観心本尊抄の「其本尊為体」以下の解釈において、石山日寛の「本門の本尊”を”脇士となす」とするのは、少なくとも同抄が書かれた当時に即して言えば行き過ぎではないだろうか。

当該部分の構成は、まず総論として「釈尊の脇士に上行等の四菩薩」とあり、なおかつ

小乗釈尊{迦葉阿難}為脇士
権大乗並涅槃経法華経迹門等釈尊{文殊普賢等}為脇士

と次第しているのだから、「此時地涌千界出現本門釈尊為脇士」は文構造上、

地涌千界(出現){本門釈尊}為脇士
(地涌千界が(出現して)本門釈尊”を”脇士と”為す”)

とはならず、

本門釈尊{地涌千界}為脇士
(地涌千界が出現して、本門釈尊”の”脇士と”為り”)

とならなければおかしい。

前段までは釈尊が主語となっているのだから、後段もそうでなくてならない。つまり「地涌千界(出現)」は、地涌千界を(おそらくは強調のため)前にもってきたにすぎない。

つまり、本門釈尊>権大乗並涅槃経法華経迹門等釈尊>小乗釈尊との文脈で、やはり「地涌千界が本門の釈尊の脇士と為り」と訓ずるのが妥当であろう(なお、これは花野充道氏が「法華仏教研究」で採用した”妥協案としての読み”と同じ)。

これにより「本門の教主釈尊を本尊とすべし」「法華経の題目をもって本尊とすべし」等と他抄で述べてきたことと一貫する。

なお、「少なくとも同抄が書かれた当時に即して言えば」と留保を設けたのは、観心本尊抄執筆当時と最晩年の境地がさらに深まった可能性、聖人の事蹟との照合、曼荼羅本尊の意義、等を勘案していまだ結論が出ていないため。


(4)いわゆる「相伝書」「口伝」を金科玉条のごとく引用するのも、蛇蝎のごとく排除するのも、一方に偏った態度なのかもしれない。

以上
  • 2013-01-12 21:16
  • 尚半道人
  • URL
  • 編集

[C1634]

尚半道人さん、

こちらこそ、本年もご教示のほどお願い申し上げます。

また新年よりの御高覧並びに長文のコメントありがとうございます。

摩尼宝珠に関しては、昨年の勉強会での犀角独歩さんの「ベイ」(薬師)に関する考察もあり、まだまだ日蓮花押は再検討の余地があると私も感じています。

それが今まで日蓮教学の専門家、研究者、高僧らが、山川説に対するアクションが少なすぎ、良く検討されないままバン⇒ボロンが定説となっていた事に対し、ここ数年の日蓮花押の議論は実に有意義かつ新たな知見を開くものと思っております。

日蓮は愛染・不動を日・月に観た立ています。
しかし日天・月天は日蓮大漫荼羅に勧請されます。
逆に薬師の脇侍である日光菩薩・月光菩薩は勧請されていません。
またかつて冨士教学研究会有志五名で拝観に出かけた、世田谷妙寿寺蔵をはじめ建治二年の御本尊には大十二神主(王)とあり、薬師三尊の守護神と私的推測している十二神将が勧請されています。

ですので大日三尊から「バン」、薬師三尊の「ベイ」、そして日蓮が宝珠を賜った摩尼と、いまだに決定をみない有力な仮設が揃っていると思います。

私も及ばずながら、自分なりの日蓮花押を考察しています。

  • 2013-01-12 18:49
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1633]

すみません。以下を書き忘れておりました。

(1)
>それを知ってか知らずか、
>『インターネットに流出したもの(以下、流布本と称す)』などと記すのは、
>失礼にもほどがある。

この「失礼にもほどがある」というのは管理人さんの痛烈な批判ですね。

流布させたご当人の意図はともかくとしても、
「インターネットに流出」という表現はあやまりです。

ましてや「流布本」などという学術用語を使うべきではありません。
東さんは、改ざんされていない資料のみを(できれば出典を明記して)公開すべきでした。

「流出した」という表現には、資料改ざんの意図をおおいかくすはたらきがあります。
東さんは、改ざんした資料を故意に流出させた謀略工作に協力しているといわれても、いたしかたありません。

学にこころざし、今後も学の世界で生きるのならば、猛省すべきです。
また「法華仏教研究」の編集方針も批判されるべきでしょう。


(2)14号では、川﨑さんの論文がもっとも読み応えがありました。

ただし、論文のなかでは、日蓮曼荼羅の花押がマニ宝珠であるという見解を否定されておりましたが、小生はいまだその見解は維持できると考えています。

川崎さんは、日蓮花押そのものが書き継がれてこなかったことをもって、マニ宝珠説をしりぞけていらっしゃいます。

しかしながら、日蓮聖人滅後における、特に富士方の曼荼羅で「日蓮在御判(花押)」と書くことは、マニ宝珠説を補完している、と会通できるのではないでしょうか。
(れんさんが別項でご所引の「日蓮在御判ト嫡々代々書ヘシ」http://fujikyougaku.blog22.fc2.com/blog-entry-323.html#comment1625
はその傍証となると思います)

さらに、弘安のある時期をさかいに、日蓮の御名とご花押が顕著に近づいていったという山中喜八の指摘は、日蓮聖人の心象変化と御名・花押の接近がパラレルであることをうかがわせます。

曼荼羅最初期から不動愛染、花押があるということは、相当の思い入れがあるはずです。

日蓮聖人が宝珠=種子を覚知した、そのあらわれとして、御名と花押が一体となった、つまり花押には特定の意義づけをしている(さらに、虚空蔵菩薩とは別の対象から宝珠を授けられた・・・)ものと、小生は推察いたしております。

そして、教相の見地では真言義を否定しつつも、観心としては受用(たとえば、教義を呑み込み、自家薬籠中のものとしてしまう懐の深さ)したのが、聖人の生涯と信仰態度ではなかったか、と現時点では拝承しています。
  • 2013-01-12 17:18
  • 尚半道人
  • URL
  • 編集

[C1632] 尚半道人

管理人さん

おくればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もまた、有益な記事から学ばせていただきます。
よろしくご教導のほど、お願い申しあげます。


追伸:
かの石山日精筆御本尊は出典・所蔵が不明確であり、
かつ、画像が曼荼羅を直接撮影したものでないように見受けられたことから、
当初より”参考”程度の扱いをしていましたが、
当該論文で未処理に”近い”画像が出されたことにより、
改ざんされた資料であることがよりあきらかになりました。

また、ネット情報を安易に採用する姿勢は
論文作成者の学的素養はむろんのこと、
学問・信仰に対する真摯さをも照らし出すこととなりましたね。

その意味からも、管理人さんのおっしゃる「品格」、
「はかなきを畜」の姿があらわとなった事例と申せましょうか。


論文としての基本的ルールを守ったうえで投稿していただくことが、
学問の深化と発展をもたらし、後続の研究者たちのみちしるべとなります。

「法華仏教研究」は、在野研究者・信仰者がもっているであろう斬新な視点・意見をねこそぎ拾おう、
というこころみであるように見受けられます。

玉石混交の”素材”を生のまま提供して、
読者に”確変”(確率変動)をおこそうとしているかのようです。

その意図は評価できますが、”悪貨が良貨を駆逐する”おそれもあります。
その「質より量」作戦の悪例が「ネット情報」です。

今号にかぎらず、この点が該誌の課題となってくることが想像されます。
良識のタガをはずさない絶妙な編集が肝要でしょう。


  • 2013-01-12 16:21
  • 名無しの富士門徒
  • URL
  • 編集

[C1631]

阿呆陀羅経さん、

御高覧並びにコメントをありがとうございます。
私も彼の本性を見抜けなかった一人で、今も利用され続けている人々がいるはずです。
かつては日蓮正宗の僧侶でも、彼に上手く利用された人物がいました。

彼の所業は断罪されるべきものだと思います。

  • 2013-01-12 00:43
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1630]

れんさん、

御高覧並びにコメントをありがとうございます。

大縫氏に関しては、虚偽の伝日蓮マンダラ入手疑惑、西山本門寺法要中の寺誌窃盗事件、無免許針治療疑惑などが確認されており、これ以上被害を拡大させないためにも、実名等を公表し現在関係している人々に注意を喚起すべきかと思慮しているところです。

  • 2013-01-12 00:39
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1629]

愛国沙門さん、

御高覧並びにコメントをありがとうございます。
一部の研究者・自称僧侶の中には、著述を刊行、小論を公表するに値しないものも多いと思います。

文字にして世に出せば、それで勝と思ったら大間違いですよね。
件の御仁は仏道の実践皆無で、裏口入手の資料を羅列するだけで、実地踏査などの実態調査に欠け、決めつけが多く客観的でありません。
仮に主観的でも、もう少し冷静に資料の書き集めだけではなく、客観的な考察を加えるべきだと思います。


  • 2013-01-12 00:35
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1628]

頗るダーティな人脈との交遊を、ブログで仄めかしている東氏の諸論考の信憑性の取沙汰はさて置き、ご指摘のような「喰わせ物」が、「魚心あれば水心」という需要と供給のメカニズムの枠内で生産され、取引されていることには危惧の念を覚えますね。
  • 2013-01-11 17:52
  • 阿呆陀羅經
  • URL
  • 編集

[C1627]

こういう人物の有様を見聞する度に、高祖日蓮聖人の崇俊天皇御書(御真蹟身延山曾存)の次の一節が頭をよぎります。

「法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬しはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云、はかなきを畜といふ。」






  • 2013-01-11 09:24
  • れん
  • URL
  • 編集

[C1626]

名著「興門教学の研究」「御義口伝の研究」を書かれた執行海秀先生、「日興上人身延離山の研究」を書かれた早川達道先生。ものの見方が公平で、指標と言うべき先師方ですね。現在では如何でしょうか。
  • 2013-01-10 23:53
  • 愛国沙門
  • URL
  • 編集

[C1624]

彰往考来さん、

御高覧並びにコメントをありがとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

14号の執筆も良かったですね。
今、法華仏教研究で彰往考来さん関係の詳論がもっとも面白いです。

それが無ければ、購読を辞めてもいいかと思うくらいですね。


  • 2013-01-10 18:45
  • 管理者
  • URL
  • 編集

[C1621]

管理人さん

関氏の「伝燈への回帰」に入集している御本尊写真は出典が明らかにされていないので著作権法に抵触する恐れがあります。
このような対応は個人の研究ノートならいざしらず公刊した書籍で発表しているわけですから真摯な研究態度とは思えません。

また東氏の当該論文の日精本尊写真はやはり出処を明らかにしていません。東氏の当該論文は誤記だらけで(60か所を超える)、強引な決めつけなどがあり、論理構成上もどうかと思います。いずれ当該誌に小生が検証した批判論考を投稿したいと考えていて現在準備中です。

彰往考来
  • 2013-01-10 15:08
  • 彰往考来
  • URL
  • 編集

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

冨士教学研究会 管理者

Author:冨士教学研究会 管理者
ブログ「冨士教学研究会 管理者のオワコン日記」へようこそ!
日蓮正宗・創価学会等の富士門流関連寺院・諸団体に関する議論は、池田大作氏の影響力低下と、諸賢の研究・考察・発表等によって、概ね結論はみえてきました。
それと同時に、冨士教学研究会の役割もほぼ終わりかけていると思います。
今後は、政治・宗教・社会等の問題を気ままに記してまいります。
更新頻度は特に定めません。皆さんも時間のあるときにのぞいてみてください。

最近のトラックバック

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索