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最澄直弟子・一乗忠について-前川小論の紹介-①

天台宗総本山比叡山延暦寺は世界文化遺産である。
「延暦寺」とは、この比叡山に点在する堂宇の総称であり、ある特定の堂宇をさしているわけではない。
東塔・西塔・横川と大きく三つのエリアに分かれるが、その中でも最澄建立の一乗止観院にその起源をみる国宝根本中堂は、比叡山の中心堂宇といっても過言ではないだろう。
この比叡山開創の最古の伝記ともいえる「叡山大師伝」は、最澄の直弟子・一乗忠の撰述である。
この一乗忠に関しては、その諱を仁忠であるとする説と、真忠であるとする説がある。近年では真忠説が有力とされているが、東洋哲学研究所の前川氏は先に鶴見大学にて行われた日本印度学仏教学会での発表で、仁忠説の再考を提起する発表を行った。

伝教大師全集5巻には以下の記述がみられる。

『五月十五日付属書云。最澄心形久労。一生此窮。天台一宗。依先帝公験。授同前入唐天台受法沙門義真已畢。自今以後。一家学生等。一事已上。不得違背。今且授山寺私印。院内之事。円成仏子。慈行仏子。一乗忠。一乗叡。円仁等。可相荘行。且附上座仁忠。并長講法華師順円申送。』(下線筆者)

「一乗」号は、最澄が大乗戒壇構想を固めつつあった時に、弟子に授けたものとの事である。
大乗戒壇は最澄の初七日になったわけであり、それ以前に最澄のもとで弟子となり得度したものは、ある意味私度僧といえるかもしれない。しかし、他宗で得度した弟子たちよりも、最澄は自らのもとで得度した弟子たちに「一乗」号を与え差別化していった。一乗忠もその中の一人であったことは間違いなく、後に天台座主に上がった僧や鎌倉新仏教に影響を与えた諸師らとともに、有力な弟子の一人であった。

この一乗忠について従来の仁忠説は、大まか以下のような内容である。

①円珍撰「比叡山延暦寺元初祖師行業記」の末尾に『撮故僧仁忠記文』とあり、この『仁忠記』が「叡山大師伝」をさすと考え、一乗忠=仁忠とする説。

②仁忠は「叡山大師伝」に『上座仁忠』と言及されるだけでなく、最澄死後「上座」の立場で比叡山の運営に携わったことが「伝述一心戒文」に記されている。

③最澄弟子中、諱が「忠」で終わるもののうち、「叡山大師伝」で有力な弟子とされているのは仁忠だけである。

これに対し、真忠説は大まか以下のような内容である。

①「叡山大師伝」には一乗忠と仁忠の両方の名前が出てきており、両人は別人と考えられる。

②円珍が『仁忠記』としたのは「比叡大師伝」であり、一乗忠撰「叡山大師伝」と同一であるかは不明である。

③真忠は「高雄歴名」に名が見える古参の弟子であり、「内証仏法相承血脈譜」の筆授でもあり、最澄の伝記を記すのにふさわしい弟子である。

④「伝述一心戒文」では仁忠は義真を批判するなど、「叡山大師伝」に記される最澄の遺志に反している。

⑤「叡山大師伝」に真忠の名が見えないのは、その筆者であることを示唆する。

以上が概略で、次回は前川氏の「天台法華宗年分学生名帳」と「叡山大師伝」登場の人物の比較から、仁忠の改名前に関する仮説を紹介したい。



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